• Poetic Diary

    in Manila

    脚を、蛙のように広げたまま
    窓の外に視線を移す。
    そこにはどこまでも青い空が広がっていた。

    ホテルが面している大通りは昨日到着したときと同じように車と人で混雑しているのだろう。
    しかし超高層階に位置するこの部屋にそんな喧騒は届かない。

    貴方の下敷きとなっている私の上半身に生えた腕は呼吸に合わせて貴方の背中をさする。
    その腕はいつも、さするべきなのか、たたくべきなのか、それともただ放り出されておくべきなのかと迷う。
    そしていつも、さすることを選ぶ。

    マニラという都市は一年を通して暑いという。
    きっと、ホテルの部屋は一年を通してクーラーが効いているのだろう。
    触れ合った肌は汗ばむこともなく、交換し合った互いのぬくもりはいつの間にかひとつの熱の帯となり、下半身へ流れ集まり、どこかへ消えていった。

    右肩に貴方の頭蓋が乗っているから
    私の頭は左へ傾ぐ。

    この時間をどのようして区切るべきだろうか。
    眠りに落ちようか、
    貴方を除けようか、
    否、このまま永遠へと引き伸ばしてしまおうとただ空を見つめる。

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    心が強張りそうなときの対処法メモ

    2015年5月、ブリヂストン美術館での最後の企画展「Best of the Best」において、ある作品との忘れがたい出会いを経験した。あのときの感激をもう一度と、リニューアルオープンのときをずっと心待ちにしてきた。

    普段はふわりと巻いて目の上でそろえる前髪を、その朝はかき上げて顔の横に流した。新しいロングスカートを卸し、ショート丈のトップスと合わせて鏡の前に立つ。よし、と頷きスニーカーで家を出た。年明けに新規で購入した定期券は銀座線には乗り入れない。宝町で地上に上がり、Google Mapで位置を確かめ昭和通を歩いていく。道を一本入ると、ARTIZON MUSEUMとロゴの掲げられたガラス張りのビルにぶつかった。入り口ですぐ、予約チケットを持っている人は上階へとエスカレーターへ誘導される。荷物をロッカーに預け、3階のメインロビーへと急ぐ。壁のようにして視界に広がる泡をモチーフとした格子状のオブジェに光が差す。その手前で入場を待つ短い列は逆光のために黒い陰となる。
    気持ちが高ぶるのが分かる。

    展示室に入ると一番にマネの『自画像』が目に入る。腕を組み、仁王立ちする姿には威厳がある一方で、絵筆のタッチが軽いそのニュアンスに、Best of the Bestでもこの絵を見たことを思い出す。そう、今回見る絵の多くは再会となる。改めてそのことを認めると、この美術館は旧知の場所であり、作品は旧知の仲のような気がした。
    緊張が解け、いつもどおりの快楽主義の私に戻る。
    芸術家の意図や作品の価値を理解する努力もそこそこに、ただ作品に対峙する。
    作品から受ける印象に対するこころの反応を楽しみながら一点一点ゆっくりと鑑賞していく。

    柱にかけられた作品の前に立つ。見た瞬間にルソーの作だと分かる『牧場』と題された作品を、見たことがあっただろうか。緑の草原に大きな一本の木が立つ。画面左上には牛が2頭こちらを向いて首をかしげる。保存状態があまりよくなかったのか、その輪郭は少しひび割れている。
    恐らく、わたしは、この作品に対して何も特別な思いは抱いてはいない。
    しかし、他の作品よりも詳細に『牧場』を見渡していた――いや、確かに長いことその絵の前に立ってはいたが、わたしの目に『牧場』は映っていなかっただろう。わたしの頭にはかつての恋人のことが思い浮かんでいた。
    彼はルソーの絵に憧れていた。ルソーを見ようと一緒に箱根にまで行った。しかし、そこは所蔵はしているものの展示はしていなかった。後日、改めて調べたようで、竹橋の国立近代美術館で展示していることを突き止めて、また一緒に見に行った。私はなるほどなあといった程度の感想しか持たなかったのだが、彼はとても喜んでいた。その絵のよさが分からなかったわたしには、それがようやく絵を見られたことについての喜びなのか、彼にはルソーがマッチしたのか測りきれなかった。
    そんなことを思い出していたためだろうか、結局今回もわたしにはルソーの絵のよさがいまひとつピンとこなかった。

    絵画が多くを占めるコレクション展ではあるが、立体作品も展示されている。
    アーキベンコ『ゴンドラの船頭』は深緑の滑らかなブロンズ像で、櫂を持ちスッと立つ腰が引き締まった広い背中の船頭を模っている。この船頭ならぐんぐんと櫂を漕いでどこにでも連れて行ってくれるのだろうと憧憬の念が沸き起こる。
    船頭は私たち鑑賞者に背中を向け、壁に近く置かれていた。せっかくの立体作品なのだからと横から作品を覗いてみてその不安定さに驚く。彼の凛とした後姿とは裏腹に脇から覗く彼の立ち姿は崩れており、見てはいけないものを見た気がした。慌ててあるべき鑑賞者の立ち位置に戻り、船頭というものを知る。

    抽象画を見るのは苦しい。理解できないのが嫌というわけではなくて、勝手に画家の苦しみを想像してしまうからだ。
    2016年、東京都立美術館へ「ポンピドゥー・センター傑作展」を見に行った。1906年から77年まで、各年1作ずつが選ばれ展示されていた。エコール・ド・パリの表現豊かな時代を越えるとコラージュや映像作品のように新たな表現手法による作品が多く取り上げられ始める。その中に並べられた抽象画に思いを馳せずにはいられない。直線や丸、四角など単純な図形を描いたり、大胆なまでにキャンバスに色を塗りたくり刷毛で平面であるはずのカンバスに立体感を出したものなど、それらは単にCompositionであったり何がしかの数字、日付で題されていた。表現方法は出し尽くされ、絵の具と筆では過去の巨匠たちと並ぶことはできても打克てないともがき苦しんだ跡のように見え、わたしも首が絞まるような喘ぐような心地がしたのだった。
    その企画展以来、抽象画に関しては他の作品のようにじっくり見ることをやめた。ただ、絵を無視するわけにもいかないので、抽象画が並んでいるときは、ベッドの上にウーキーではなくてアルトゥングがかかっているようなホテルに泊まりたいなあと考えている。

    抽象画の合間を抜けると吹き抜けを挟んでガラス張りの展示室が見える。後からわかったことだが、そこにかけられていたのは小杉未醒『山幸彦』だった。横長の画幅には木の根元の池を、喜びを持って見つめる二人の男女が描かれている。目の前のベンチに腰掛ける人もいれば、しばらく立ち止まったり、ゆっくり歩いたり、その絵を中心にして来場者は思い思いに絵を鑑賞していた。
    それはシアターのような眺めで、目の前には作品も何もない場にわたしはしばらく立ち尽くしていた。

    さて、展示も後半を過ぎたころ、いよいよかと緊張し始める。

    2015年5月、私の身体にさあっと水が流れた彼の作品――ジョルジュ・ルオー『ピエロ』との再会だ。炭のように黒い背景に浮かぶピエロの胸像。あの泣き笑いのメイクを落とした容貌では描かれた人物がピエロなのかは定かではないが、タイトルがそうなのだからそうなのだろう。目と口を閉じた静かな表情には何の感情も読み取ることができない。
    ただ、唇や頬の赤みに、その人が生きていることが分かる。ピエロの化粧を落とし表出する圧倒的なひとりの人間の生。
    あの絵に対峙したとき、その人に思いを馳せる暇もなく、ひとりでに涙は零れた。動けなかった。
    そんな作品との再会だ、緊張しないわけがない。一方で、そのとき以来5年間、私の携帯の待ち受け画面は飽きることなく『ピエロ』であり、もう見慣れた図柄となってしまっているのではないかと不安でもあった。

    展示室に入るとすぐ、遠くの壁にそれがかかっているのを見つける。記憶にあるよりも大きなカンバスにどきりとする。しかし、逸る気持ちを抑えて、これまでどおり、順番に作品を鑑賞しようとするが、あまりにも落ち着かないので、他の作品を見るのはあきらめて『ピエロ』へ向かった。
    正面に立ち、目をつぶる。ゆっくりと目を開き、再会を喜ぶこともつかの間で、5年前と同じように涙が零れる。しかし今度は仔細に表情を眺める。閉じられていたと思っていたまぶたは微かに開いている。閉じた唇も記憶よりも優しく閉じられ、その表情には、自己の内面へのまなざしよりも、遠くかなたへ思いを向けているように見える。ただ、それはきっと、喜びのためではない。そしてきっと、救いは自分の外――はるか遠くにあると感じているのだろう。そのように、見えた。わたしも思わず祈るようにして両手を組む。

    ふらふらともとの展示順へ戻る。しかしもう、前ほどの熱心さで鑑賞することはできない。
    しかし、ドンゲン『シャンゼリゼ大通り』に捕まる。凱旋門をバックにした記念撮影のような絵。戦間期のつかの間の楽しさ、安堵に満ちた平和な図画に想像が膨らむ。くすりと笑ってふわりとその絵を後にする。

    よく心が動いた濃密な2時間だった。心が強張りそうなときはここに帰ってこようと、メモ。

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    おひとり様カルボナーラ

    この半年は変化の連続だった。

    昨年の7月、マッチングアプリで出会った男性と1回の電話と1回のデートで意気投合し、2回目のデートで付き合うことになった。3ヵ月後、私たちは結婚を決め、その年の末には籍を入れ、一緒に暮らし始めた。
    そして年明け2週間後に夫となったその男性は私たちの家を出てひとり異国の地に赴任し、わたしはひとり日本で生活を続けている。

    付き合い始めのころ、わたしは彼の誠実さにひどく感激し、わたしもそうあろうとした。
    結婚を決めたとき、わたしは彼の辛抱強さにいたく感謝し、わたしもそうあろうとした。
    一緒に暮らし始めたとき、わたしは彼の存在に常に元気付けられ、わたしも彼にとってそうあろうとした。
    そして、ひとり暮らしに戻った今、わたしは見知らぬ自分に驚かされ続けている。

    年が改まり、互いの実家へ年始の挨拶を終えたとき、10月から怒涛のようにやってくる結婚にまつわるイベントがひと段落した。それまでひたすらに忙しく、気持ちも落ち着かず、とてもではないが日々を振り返り文章が書けるような状態ではなかった。だから三が日が過ぎ、夫が友人との約束に出かけ、ひとり家にいるとき、ようやくブログが書けると嬉々としてキーボードを叩き始めた。

    しかし、これまでと同じ感覚で自分の思う文章を書けている気がしなかった。何とか書き上げた文章を読んでもどこか上滑りの感が否めない。
    なぜだろうと思い巡らしてみて、はたと幸せボケに違いないと思い至った。

    幸せボケは様々なところに及んでいた。これまでのわたしは他人に対して常に憎む気持ちを抱えていた。それがいつの間にか消え、世界は朗らかになっていた。ひとり強くあらねばという気持ちも薄れ、意固地な自負心や競争心が和らいでいた。
    自分以外は敵だという強烈な意識を持っているのがわたしなのだとヒロイックに自己を定義していたにも関わらず、その意識の喪失をすんなり受け入れている自分に驚いた。

    さらに。

    これまで、わたしはひとりで何でもできるし、何でも楽しめると思っていた。
    しかし、ひとり暮らしに戻った上、家庭を持つ身であるがために他人との接触が結婚前に比べ極端に減ったことに気付いたとき、寂しいと感じたのだ。
    耐えられない寂しさではないが、なんだかんだ自分のそばには常に誰かがいて、そのおかげで日々は充実していたのだと気付き、驚いた。

    こう述べたものの、実は、これらの変化は、私が結婚に求めていた効果である。
    しかし、いざ目の当たりにすると戸惑いが生じ純粋に喜べない。

    その日は特別忙しかったわけではないのだが、なぜかぐったりして帰路についた。いつもどおりの夕食ではお菓子を自棄食いしてしまうと思い、自分の機嫌をとろうと普段はダイエットのため控えているパスタを解禁することにした。

    カルボナーラソースを作るときは、卵を火にかけるとクリームにならず固まってしまうので余熱で仕上げる。スピード命のため、普段は場当たり的にあれやこれや取り出しながら料理をするのだが、その日に限っては調理に取り掛かる前に食材の下ごしらえをした。冷蔵庫の奥で固まってしまった粉チーズをほぐそうとボトルをシンクに叩きつける。結局作らずじまいになったポテトサラダのために買っていたベーコンを細切にする。そうして用意した食材や調味料を見渡し、後はもうすべてを火にかけるだけだと調理に取り掛かった。
    にんにくが香るオイルとパスタを和え、最後、そこに生卵を加えてソースを仕上げ火を止める。
    疲労感を忘れて丁寧に作った食事が楽しみで、いそいそと食卓につく。スプーンの上でフォークにくるくるっとパスタを巻いて食べる。
    卵の白身が生っぽさが気になり、もう少し熱を残しておくべきだったかと反省しながらも、出来上がったカルボナーラは十分に美味しかった。
    食事が美味しい、ただそれだけの単純な喜びに癒された。

    日々気付かされる変化をどう評価すべきか戸惑い悩む毎日にいつの間にか疲れていたのかもしれない。

    食後のデザートにはチョコを食べた。
    そうそう、レシピではパスタは80gだったのだが、家にあったパスタはひと束100gだった。20g多く食べられて、余計幸せだった。

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    本と出会って、別れて

    数十冊、本を手放した。

    引越しに当たって、今にも壊れそうな本棚を捨てることにした。背の高い白いその本棚は、ひとり暮らしを始めるときに持ってきたカラーボックスがいっぱいになったため1年前に廉価家具店で買ったのだが、ハードカバーの本を詰めるには軟弱だった。

    本棚を処分するに併せて本も整理することにした。

    椅子に立ち、本棚の一番上の段から本を出し、PCデスクの上に重ねていく。そのうちにデスクの上もいっぱいになり、床にも重ねていく。本棚からだけではなく、ベッドに備え付けられた棚やサイドボードからも、とにかく部屋中から――単身用のワンルームではあるが、本を集めてくる。

    そして、サイズもカテゴリもばらばらで、崩れないようにとだけ気をつけて作った本のタワーの中で、何を基準に整理しようかと考える。思い入れのある本?再読可能性?時代性の有無?できるだけ身軽にはなりたいけれど、せっかく買った本を手放すのは気が引けた。本に限らず、モノを処分するのが苦手なのだ。

    結局、私にとって面白い内容であったかどうかで整理することにした。

    一冊一冊手にとって、引越し先に持ち込む段ボール箱と古本屋に引き取ってもらう段ボール箱へ選り分けながら、内容が思い出せないどころか、読んだことさえ覚えていない本があることに驚く。読みたいと思って買い、そして読み通したはずなのに、何も覚えていないとはどういうことなのだろう。忙しかったとかまとまった時間が取れなかったとかで本に入り込めないままダラダラ読み終えてしまったに違いない。

    もう一度落ち着いて読めばその本の魅力に気付けるのではと、引越し先に持っていこうかとも思ったが、いざ再読したときに当時と同じ読了感になるのも嫌だったので、やはり売渡し用の段ボールに収めていった。

    選別を終え、緩衝材を詰めながらふと思う。このまま手放したら、この本たちは私の人生から退場してしまうのだな、と。

    内容はおろか読んだことさえ忘れていたとしても、手元にあれば、その本とのつながりを持ち続けることができる。しかし、手放してしまえば、出会ったことさえーー当時の私がその本を切望したことが消え去ってしまう。私以外の誰もその本と私の関係を知らないのに、当の私がその関係の痕跡を消そうとしている。

    そのどうしようもない寂しさと切なさが胸にきた。

    一方で、買ったものののまだ紐解いていない本は、評価のしようがないので問答無用ですべて新居へ持っていった。読了したとき初めて書店でかけてもらったダストカバーをはずすので、実はこれら未読の本が何かは分からないままに段ボールに詰めた。

    さて、再会はいつだろう。また出会えるだろうか。

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    呪いを解くためのレッスン#1

    「これまでの人生を振り返ってみると、失敗は数え切れないほどしてきたが、挫折はしたことがないように思う。強いて挙げるならば、女として生まれた私が独立心を持っていることに気付いたときに挫折を感じた。」

    大学卒業後の進路を決めるための就職活動中、ある出版社のESにあった「人生最大の挫折は何か」という問いにそう回答した。

    まだ男性優位の風潮が残る世の中で、男性と肩を並べていられるよう強くあらねばと思っていた。

    女性に物を買い与えて自己を確認する男性を尻目に、己の欲は自ら満たすのだと志していた。

    他人に幸せにしてもらう人生なんてまっぴらだと思っていた。

    しかし、私は弱かった。人に勝る能力や才能、そういった輝けるものを持ち合わせていないだけでなく、努力する気概や――そもそも何事に対しても執着心を持てない私は、志だけは高いままに、とにかく、若さや女であることを利用しながらその場しのぎでのらりくらりと生きてきた。

    だからきっと、私から「若い女」という属性を抜いてしまったら私の世界は崩壊する。

    漠然とだが、そう確信している。

    「女」という属性はおそらくこれからも変わることはないだろうが、泣いてもわめいてもどんなに嫌がっても年だけはとってしまう。私は確実に若くなくなっている。何を以って「若い」とするかは実のところよく分からない。年齢なのか、外見なのか、このふたつによって定義されるのだろうが、その具体的内容もよく分からない。私の今住む世界が崩壊したとき、初めてそれは定義づけられるだろう。

    しかし、私は私の世界が崩壊するのを見たくない。

    私はカズオ・イシグロが嫌いだ。大学4年生のゼミでは1年間研究した上に、卒論で取り上げたにも関わらず、彼の小説を好きになれない。

    『日の名残り』は、第二次世界大戦後に古くからのイギリス人貴族が没落したために新しくアメリカ人を主人に持つようになった主人公である執事が、イギリスを旅しながら過去を振り返る物語である。イシグロは、世の中の流れが変わり、これまで積んできたキャリアが覆されたことを受け入れられずにいる主人公の姿に、サッチャー政権下のイギリスを重ねる。覇権国家でなくなったイギリスの現状を真正面から見つめよと、過去の栄華にしがみつくのではなく、没落した現在地点から歩みなおせよと評しているのだ。

    このようにしてイシグロは崩壊した世界で生き続けることを強要する。

    私には、いつの間にか変わり果ててしまった現実を受け入れる勇気もなければ、過去の栄華を振りかざす厚かましさもない。きっと、その場で立ち尽くし、身動きがとれなくなるばかりだろう。

    私のことを好きだと言う男性に、外見について「かわいい」と言われた。

    それは「若い女」である私が好きだという言葉だった。これまで何度この言葉に首を絞められる思いをしただろう。

    しかし、彼ほどに、恥ずかしげもなく真正面から好きだと評されてしまうと、斜に構えようもなく、そのさっぱりとした言葉を切って捨てようとすることのほうが、敏感になりすぎているようでむしろ恥ずかしくなった。

    そういうわけで、ためらいながらも彼の言葉を素直に頂戴することにした。

    そのとき、急に胸が軽くなった。

    崩壊する世界を心配しても、そこに立つみじめな自分を心配しても、仕方がない。今の私の世界が住みよい場所であること、それで十分じゃないかと思ったのだ。

    しかし、健全な精神状態であることを盾にして、好きな男性に好かれるために「若い女」に甘んじることが好ましいかは、別の話だ。

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    あしびきのラビオリの尾の

    木曜日の夜はどうしようもなくお酒が飲みたくなる。

    金曜日の夜を待ちきれず、ひとりお酒が飲みたくなる。

    一頃、残業せずに定時で帰るようにときつく指導されていたが、最近は、残業してでも業務を引き受けてスキルアップを図るようにと風向きが変わってきた。

    そのため残業続きの日々なのだが、その週の木曜日はどうしても宅配便の荷物の引取りをしなくてはならなかったため、定時で退社した。

    宅配業者を待つ間、ベッドに横になって雑誌を広げていた。白いドレスを着てとびっきりの笑顔を浮かべるモデルや明るいチャペルの写真が掲載されたページを何十ページも眺めながら、自分には縁遠い図だとうんざりし始めたところにようやく宅配業者が来た。

    荷物を受け取ったらジムに行ってランニングをしようと思っていたのだが、どこか気が抜けてしまって行く気が起きない。だらだらと雑誌を眺め続けながら、ぼんやりお酒が飲みたいと感じる。しかし、翌日に飲み会を控えており、今日ももう食事も済ませているのだし我慢しようと自分に言い聞かせ、再びだらだらと雑誌を繰る。ところが糸が切れたように急に耐え切れなくなり、一杯だけ、とクレジットカードと文庫本を持って家を出る。

    11月にもかかわらず暖かい日が続いたあと、最終週になってからは連日の雨で、それからぐっと寒くなった。氷の入ったサワーやちょこっとのカクテルの気分ではない。小説を読みたいからバーがいい。どこに行こうかと軽装で出てきたことに後悔しながら足早に飲み屋街へ向かう。

    スナックやバーの入居したビルが立ち並ぶものの、21時だからかまだ静かなその通りに差し掛かったとき、そこに気になっていたワインバーがあることを思い出した。

    今の気分に赤ワインはぴったりだろうと、ビルの入り口に出してある看板を検めて3階の店舗を目指して階段を上る。

    ドアを開けると薄暗い店内にはマスターすらおらず、天井にぶら下げられたテレビから中国の映画が流されているばかり。想像していた雰囲気とは大分違うなと、引き返すべきか躊躇しているうちに、奥からマスターが出てきて好きな席にと案内される。

    5席ほどのカウンターで、奥から2番目に座る。来店は初めてかと確認され、うなずいて返事をする。

    銘柄も何もなく、価格帯だけ書かれたスタンドメニューが渡される。深めの赤ワインが飲みたいと告げるとカウンターに並べられたワインの中から白地に茶色の文字のラベルのものを選んでくれた。シチリア北部のワインだという。テイスティングしてみると想像していたよりも酸味が強かったが、たまにはいいかとそれを頼んだ。

    口の広い丸いグラスを受け取り、作法どおりに香りを確かめ一口含む。本を開こうとしたところ、マスターが歌っているような訛りで食事はいるかと聞く。

    帰宅してすぐに豆腐を食べたきりで空腹だった私は、この際ダイエットなんて関係ないと、今日はポルチーニ茸のラビオリなら用意できるとのことで言われるがままに頼む。ラビオリというどこにでもありそうな、しかしいまいち的を得ない料理名にはてと考える。パスタだったとは思うのが、それも怪しい。頭に浮かぶのは波打った幅広のパスタだが、そもそもそんなパスタがあるのかさえ自信がない。

    しばらくしてできたてのラビオリがサーブされ、ようやくラビオリが何かと思い出す。

    丸く成型したパスタ生地でポルチーニ茸と野菜のフィリングをはさみ、トマトソースがかけられたそれはいかにもおいしそうだった。冷めないうちにと、頭の片隅にうねうねしたパスタを浮かべながら読んでいた本を置いて、ナイフとフォークを手に取る。

    フィリングがあふれてしまうのではないかと恐る恐るフォークをいれて半分に切る。

    しっかりと練り合わされたフィリングは存外歯切れよく、切り口はぴったりと閉じた。ほっとしてフォークを深く刺しなおしトマトソースを絡めて口に運ぶ。

    ポルチーニ茸の土のような甘い香りにどきどきする。濃厚なフィリングとほんのり甘みのあるつるんとした口当たりの一口に安心した心持でワインを軽く含んだ。

    黄色い抑え目のライティングの手元にはオレンジがかった赤いトマトソースと黒味がかった赤ワインが並ぶ。

    二口目を食べながら、ふと、金魚を食べているようだと思った。

    まだ小さくて鮮やかな赤色がかわいらしいぴちぴちの金魚。

    それは夏祭りの戦利品。翌日、水槽にべったりと顔をつけ、様子を伺う。

    逃げるように小さな尾びれを震わせ泳ぐそれを飽きもせず眺める。

    わたしのものだよと水槽をこつこつとつつく。

    数日後、腹を見せて浮かぶそれに気付き、母親に土に埋めてくれと頼む。

    次のラビオリにナイフを入れたとき、滑らないようにとフォークをしっかり刺した。

    水分をたっぷり吸ってつやつやした白い生地にトマトソースを絡めゆっくり咀嚼する。

    一皿食べ終わらないうちにグラスが空いてしまった。

    一杯だけのつもりで家を出てきたが、それで終わるはずがない。金曜日はまだ来ない。

    もう少し酸味を抑えた深い赤をと告げる。

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    想いに添えて

    眠る前、ローテーブルに置いたバラの花瓶を抱えて洗面所に立つ。花瓶代わりに買った大きなグラスからそっとバラの花束を抜いて、パチン、パチンと茎の先を切る。園芸用の切れ味のいいハサミを買わないといけないなと思いながら、パチン、パチンと繰り返す。滲んだ緑色の断面を落とせば、みずみずしい白い断面が現れ、もう少しの間はきれいに咲いてくれるのだろうと嬉しくなる。

    洗面台の隅に花束を置き、グラスを覗いたときの濁った水の微かな臭いに、小学校の教室に花が活けてあったことを思い出す。

    花瓶の水の入れ替えは日直の仕事だった。たっぷり水の入った大きな花瓶を水道まで運ぶのには苦労した覚えがある。しかも水を捨てるとき、それはやけに臭った。しかし、その何ともいえない腐臭が好きだった。

    翌日、このことを恋人に話した。彼の部屋で、眠る前、抱きしめられながら。水の入れ替えをせずに自宅を出てきたことに少しの不安を感じながら。私が話し終えた後、彼はいの一番に「誰が買ってきていたんだろうね」と言った。

    さあ、誰が買ってきていたのだろう。

    毎日生徒が水の入れ替えをして大切にしていた花は、誰が買ってきてくれていたのだろう。

    ただ、花瓶を洗わず、水が腐敗してしまう程度にはぞんざいに扱われていた花を、誰のために買ってきてくれていたのだろう。

    彼の部屋から仕事に向かい、一日を終えて帰宅し電気を点けると、ワンルームの真ん中ではバラがまだ鮮やかに咲いていた。そういえば、と、ひとつひとつの花を見つめながら1,2,3……49,50と数える。108本がよかったのだけれど持ち帰るのが大変だろうから50本にしたと言っていた。

    彼が私のために買ってきてくれた花なのだと認めて、改めて、そうか、と思う。

    ピンクと赤の花の色は日に日にぎゅっと濃くなっている。

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    ロシアの恋人たち

    プロットを考えてから書き始めるべきだったなと、ブログを書きながらいつも思う。

    書いては消しを繰り返し、ひとつの表現に何時間も首をひねり、終着点が見えないまま文字を連ねる。

    会社の寮は、スポーツ施設が隣接するため防音がしっかりしているという。確かに住み始めてから2年半、この部屋で近隣の音が気になったことはなかった。しかし、昨日までのロシア旅行について文章を書こうとするも何をメインに切り出すべきか決めかねながらキーをたたく今、網戸越しに聞こえてくるアニメ番組の音が気になって仕方がない。

    隣の部屋でも私の部屋と同じ備え付けのレースのカーテンが微かに揺れているのだろう。

    4月末に、ロシア行きの飛行機をひとり分予約した。

    7月半ばに、付き合い始めたばかりの恋人もロシア行きの飛行機を予約した。

    3泊5日という日程にあまり余裕はない。

    とにかく、広い空が見られればよかった。

    レーニンの遺体を確認できればよかった。

    もう二度と行くことはないだろうからと奮発したボリショイバレエのチケットはいかにも観光旅行らしいと思っていた。

    そんな軽い気持ちのはずだったのに。

    私たちはそれらにいちいちアテられた。

    その度強く手を握った。

    その度たどたどしく言葉を交わし、沸き起こる感情を共有した。

    電車で隣り合って座る。

    車両を繋ぐドアが開き、女性が何かを掲げて乗客へなにごとか声をかける。彼女に向けてコインを差し出す男性がいた。

    レストランで向かい合って座る。

    背の高いウエイターに渡されたEnglish ver.のメニューに混ざるキリル文字は装飾的で優美だ。

    ロシアでは私たちの放つ言葉だけが意味を成していた。

    ボリショイバレエの開演前、劇場近くのレストランで食事をした。他に東洋人のいない空間にくつろぐ私たちは、傍から見れば異質だったかもしれない。

    しかし、フォークとナイフを握りながら、相手に向けて、こころのままを差し出し語るとき、私たちの互いの眼前には、あてがわれた椅子に腰をかけ、非日常に浮き足立つ観光客以上の姿――二十数年の時により形成され、これからも変容していくであろう立体的な存在――が立ち現れた。それは、完全に空間に調和した。

    恋人同士の浮ついた気分は後に退き、真面目な響きを込めた言葉を受け入れてもらえるというような相手への信頼に基づく関係が、見知らぬ土地であるロシアに私たちの存在を許容させた。

    このロシア旅行を振り返ってみれば取り上げ得る話題はいくつもあるはずなのだ。しかし、なぜか、キーに手を置く私の頭の中には「経験した」という以上のエピソードがない。感激のあまり涙する瞬間があったにも関わらず、ひとり思い出す感情はあまりにも静かだ。あの時間を再構成するには私ひとりの言葉では足りないのか。

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    秋は嫌い

    ロイヤル・オペラ『ファウスト』の来日公演を見に行った。上野の東京文化会館大ホール4階下手よりステージを見下ろす。全5幕、4時間弱。夢のような一夜だった。

    そう、夢のような。

    ロイヤル・オペラ・ハウスシネマという、ROHでの公演を全世界の映画館に同時配信するという企画があり、6月には『ファウスト』が上映された。そこでメフィストフェレスの歌う「黄金の子牛の歌」にすっかり魅了された私はこの悪魔に狂わされたいという一心で来日公演に臨んだ。

    しかし、私は生のオペラに感動こそすれメフィストフェレスの奴隷になることは叶わなかった。オペラハウスであればボックス席であろう優雅な座席では彼の魔力も届かないのか。待ちに待った一夜はきらびやかではあったが、目覚めれば何も残らない夢のようにさらりと過ぎ去った。

    さて、私は秋が嫌いだ。過ごしやすい気候は、何かをサボることの言い訳がひとつ減るということであり、何かを為すときの難易度がひとつ下がるということだ――ああ、私が露呈してしまう。

    また、生を感じる――社会規範に馴らされる中、生きているという実感を得るのに、夏の暑さや冬の寒さに身を晒すことは極めて手軽だ。秋は、それができない。快適な空気は身体に何も訴えかけてこず、こちらが積極的に注意を払わなければならない。何に悦びを見出せというのか、そこから考えねばならないとはとてつもなく面倒だ。

    そのようなとき、芸術という名の劇物の摂取は極めて有効だ。劇物による、目が回り下腹が疼く感覚は、いかにも生きているという「感じ」がする。

    みんなだってそうだろう?芸術を楽しむのに秋が最適なのではない、手抜きをごまかす為につまらない秋を持て囃しているに過ぎないだろう?それとも、これは悪魔の宴を傍観することしかできなかった者の恨み言か?

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    おしえてミルハウザー

    浮き輪の穴におしりをはめ、あっちへぷかり、こっちへぷかり、静かに行き来する波に身を任せる。そのうち遊泳区域を示すブイまで流れつき、ロープを掴んで軽く反動をつけてから両腕で大きく水をかいて浜の方へ向かう。

    そして、浜辺にたどり着かないうちに再び浮き輪に身を沈め、沖へ沖へと運ばれていく。何度も何度も行ったり来たりを繰り返す。

    ホテルから程近いビーチはハイシーズンにも関わらず静かで、誰にも何にも気兼ねすることなく、ただ波に揺られ続ける。ビーチリゾートの正しい楽しみ方。

    四角く張られたロープの隅に追いやられたとき、軽い酔いを感じ、上半身を起こして浮き輪から滑り降りた。遠浅の透明な海を歩いて戻る。

    一緒に来た友人は先に上がってパラソルの下で寝ていた。眠れなさそうな私は、本を読もうとビニールバッグを開く。しかし、中にはカメラとタオルしか入っていない。ホテルのフロントに預けた荷物の中に本を入れてしまったのだと気付き、軽いパニックを覚えた。行きの飛行機の中でミルハウザーの短編集『私たち異者は』を読み始め、この旅行中に読みきろうと張り切っていた。それなのに、ここぞというタイミングで手元にない。

    おそらく友人はもうしばらく眠っているだろう。浜辺を歩くにも海に戻るにもまだ疲れている。読書の代わりに何をしよう。

    ビニールバッグを置き、お腹の上で手を組んで、軽く息をついてビーチチェアにもたれかかる。白と青のパラソル越しに爽やかな海を見る。これほどすてきなロケーションで大好きな読書ができたらさぞ幸せだろうに・・・。悔しい思いに目を閉じると、ふと、行きの飛行機の中で読んだ短編作品の一節が思い浮かんだ。

    「……ピアノ、僕の部屋の読書用椅子、玄関広間のマホガニーの本棚などからたえず柔らかなプレッシャーが発していて……」

    そして、続いてそのときに感じた安堵も蘇り、指先の力が抜けていく。

    どんなに美味しいものでも食べ過ぎれば苦しくなるように、本を読む悦びが、ときには過剰であると認めることが許された気がした。

    ミルハウザーの作品の登場人物がいつも平凡でつまらない世界に何かが起きることを望んでいるように、私もそれを望んでいる。だから常に私は走り回り何かを求め続けている。しかし、何も起こらないこと、何もしないこと、ただその場に身を横たえなされるがままでいることも、どうやら私を満たしうるようで、しかもそれらは走り回る私を否定するわけではないらしい。

    そう気付き、立ち止まる心地よさに浸っているうちに、ビーチリゾートを楽しむという命題さえ忘れてしまっていた。

    ねえ、ミルハウザー、それでいいと言って。