楽しむ力のエトセトラ

 埼玉で主婦業を営む母が平日の17:30に有楽町に来た。2時間かけてやって来た。映画の試写会に参加するためだ。わたしが誘ったのだが、お風呂のスイッチを押すことさえ母を呼びつけるような父親を、どう説得して遊びに来たのかと訝しんでしまう。

 ギリギリになってもいいようにと会場の近所で夕飯をとった。お店を出て、すぐそこだよと声をかけると、あの新しい建物?と母に聞き返される。どれを指してるのか分からないけど新しくはないかな…などと話ているうちに劇場に着いた。
 席に着いて間もなく劇場は暗くなった。試写会といえど映画泥棒のムービーから始まる。シネコンの最新設備に慣れていると、ハイスピードで逃げ走る映画泥棒の残像はなかなかの衝撃だ。物語が面白ければ問題ないと言い聞かせながら姿勢を正すも、主人公の女性が古風な髪型で「~だわ」と話したり、いけ好かない男が歯の浮くようなセリフを並べまくったり、メインどころの若い女性は朗読劇のように喋ったり、暗がりの中で隣の母をつい見てしまう。とはいえ、市民交響楽団の存続についての物語が進むにつれ、豊かな人間模様の描写や登場人物の奏でる音楽に、わたしは隣の母の顔色よりもスクリーンの世界に興味は移っていった。
 映画が終わり、劇場の明かりが点くなり母の方を伺った。母もこちらを向いており、「音楽すごかったね」と満足そうに言った。わたしも負けじと「映画を見にも来たんだかコンサートを見に来たんだか分からないね」と答えてみる。
 その途端、自分はすごいものを見たのではないかという気がしてきて、続くトークイベントに主演女性が登壇することへの期待感が高まった。

 残念ながら登壇した美しい主演女優は遠くてはっきりと見えなかった。しかも、ファシリテーターの若いタレントはとても緊張しているようで台本通りにしかコメントできない。さらに、収録エピソードを語る中で俳優たちの名前が挙がるが、芸能人に疎い我々にはちんぷんかんぷんだ。しかし、これが試写会の醍醐味なのだ。

 会場が締まり、興奮のまま感想を言い合いながら有楽町駅に向かった。
 帰りの電車の中、ひとりで試写会のパンフレットや公式HPを読み漁った。

 母が来てくれなければ、私は仕事を早めに切り上げてまで試写会には参加しなかっただろう。例え、仕事がすんなり終わってひとりで来たとしても、無料で見られたからいいがと白けた気持ちでいただろう。
 今日を楽しみにしてくれていた母が、楽しむ力を与えてくれた。

 23時過ぎ、家に着いたと母から連絡がきた。