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    呪いを解くためのレッスン#1

    「これまでの人生を振り返ってみると、失敗は数え切れないほどしてきたが、挫折はしたことがないように思う。強いて挙げるならば、女として生まれた私が独立心を持っていることに気付いたときに挫折を感じた。」

    大学卒業後の進路を決めるための就職活動中、ある出版社のESにあった「人生最大の挫折は何か」という問いにそう回答した。

    まだ男性優位の風潮が残る世の中で、男性と肩を並べていられるよう強くあらねばと思っていた。

    女性に物を買い与えて自己を確認する男性を尻目に、己の欲は自ら満たすのだと志していた。

    他人に幸せにしてもらう人生なんてまっぴらだと思っていた。

    しかし、私は弱かった。人に勝る能力や才能、そういった輝けるものを持ち合わせていないだけでなく、努力する気概や――そもそも何事に対しても執着心を持てない私は、志だけは高いままに、とにかく、若さや女であることを利用しながらその場しのぎでのらりくらりと生きてきた。

    だからきっと、私から「若い女」という属性を抜いてしまったら私の世界は崩壊する。

    漠然とだが、そう確信している。

    「女」という属性はおそらくこれからも変わることはないだろうが、泣いてもわめいてもどんなに嫌がっても年だけはとってしまう。私は確実に若くなくなっている。何を以って「若い」とするかは実のところよく分からない。年齢なのか、外見なのか、このふたつによって定義されるのだろうが、その具体的内容もよく分からない。私の今住む世界が崩壊したとき、初めてそれは定義づけられるだろう。

    しかし、私は私の世界が崩壊するのを見たくない。

    私はカズオ・イシグロが嫌いだ。大学4年生のゼミでは1年間研究した上に、卒論で取り上げたにも関わらず、彼の小説を好きになれない。

    『日の名残り』は、第二次世界大戦後に古くからのイギリス人貴族が没落したために新しくアメリカ人を主人に持つようになった主人公である執事が、イギリスを旅しながら過去を振り返る物語である。イシグロは、世の中の流れが変わり、これまで積んできたキャリアが覆されたことを受け入れられずにいる主人公の姿に、サッチャー政権下のイギリスを重ねる。覇権国家でなくなったイギリスの現状を真正面から見つめよと、過去の栄華にしがみつくのではなく、没落した現在地点から歩みなおせよと評しているのだ。

    このようにしてイシグロは崩壊した世界で生き続けることを強要する。

    私には、いつの間にか変わり果ててしまった現実を受け入れる勇気もなければ、過去の栄華を振りかざす厚かましさもない。きっと、その場で立ち尽くし、身動きがとれなくなるばかりだろう。

    私のことを好きだと言う男性に、外見について「かわいい」と言われた。

    それは「若い女」である私が好きだという言葉だった。これまで何度この言葉に首を絞められる思いをしただろう。

    しかし、彼ほどに、恥ずかしげもなく真正面から好きだと評されてしまうと、斜に構えようもなく、そのさっぱりとした言葉を切って捨てようとすることのほうが、敏感になりすぎているようでむしろ恥ずかしくなった。

    そういうわけで、ためらいながらも彼の言葉を素直に頂戴することにした。

    そのとき、急に胸が軽くなった。

    崩壊する世界を心配しても、そこに立つみじめな自分を心配しても、仕方がない。今の私の世界が住みよい場所であること、それで十分じゃないかと思ったのだ。

    しかし、健全な精神状態であることを盾にして、好きな男性に好かれるために「若い女」に甘んじることが好ましいかは、別の話だ。

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    あしびきのラビオリの尾の

    木曜日の夜はどうしようもなくお酒が飲みたくなる。

    金曜日の夜を待ちきれず、ひとりお酒が飲みたくなる。

    一頃、残業せずに定時で帰るようにときつく指導されていたが、最近は、残業してでも業務を引き受けてスキルアップを図るようにと風向きが変わってきた。

    そのため残業続きの日々なのだが、その週の木曜日はどうしても宅配便の荷物の引取りをしなくてはならなかったため、定時で退社した。

    宅配業者を待つ間、ベッドに横になって雑誌を広げていた。白いドレスを着てとびっきりの笑顔を浮かべるモデルや明るいチャペルの写真が掲載されたページを何十ページも眺めながら、自分には縁遠い図だとうんざりし始めたところにようやく宅配業者が来た。

    荷物を受け取ったらジムに行ってランニングをしようと思っていたのだが、どこか気が抜けてしまって行く気が起きない。だらだらと雑誌を眺め続けながら、ぼんやりお酒が飲みたいと感じる。しかし、翌日に飲み会を控えており、今日ももう食事も済ませているのだし我慢しようと自分に言い聞かせ、再びだらだらと雑誌を繰る。ところが糸が切れたように急に耐え切れなくなり、一杯だけ、とクレジットカードと文庫本を持って家を出る。

    11月にもかかわらず暖かい日が続いたあと、最終週になってからは連日の雨で、それからぐっと寒くなった。氷の入ったサワーやちょこっとのカクテルの気分ではない。小説を読みたいからバーがいい。どこに行こうかと軽装で出てきたことに後悔しながら足早に飲み屋街へ向かう。

    スナックやバーの入居したビルが立ち並ぶものの、21時だからかまだ静かなその通りに差し掛かったとき、そこに気になっていたワインバーがあることを思い出した。

    今の気分に赤ワインはぴったりだろうと、ビルの入り口に出してある看板を検めて3階の店舗を目指して階段を上る。

    ドアを開けると薄暗い店内にはマスターすらおらず、天井にぶら下げられたテレビから中国の映画が流されているばかり。想像していた雰囲気とは大分違うなと、引き返すべきか躊躇しているうちに、奥からマスターが出てきて好きな席にと案内される。

    5席ほどのカウンターで、奥から2番目に座る。来店は初めてかと確認され、うなずいて返事をする。

    銘柄も何もなく、価格帯だけ書かれたスタンドメニューが渡される。深めの赤ワインが飲みたいと告げるとカウンターに並べられたワインの中から白地に茶色の文字のラベルのものを選んでくれた。シチリア北部のワインだという。テイスティングしてみると想像していたよりも酸味が強かったが、たまにはいいかとそれを頼んだ。

    口の広い丸いグラスを受け取り、作法どおりに香りを確かめ一口含む。本を開こうとしたところ、マスターが歌っているような訛りで食事はいるかと聞く。

    帰宅してすぐに豆腐を食べたきりで空腹だった私は、この際ダイエットなんて関係ないと、今日はポルチーニ茸のラビオリなら用意できるとのことで言われるがままに頼む。ラビオリというどこにでもありそうな、しかしいまいち的を得ない料理名にはてと考える。パスタだったとは思うのが、それも怪しい。頭に浮かぶのは波打った幅広のパスタだが、そもそもそんなパスタがあるのかさえ自信がない。

    しばらくしてできたてのラビオリがサーブされ、ようやくラビオリが何かと思い出す。

    丸く成型したパスタ生地でポルチーニ茸と野菜のフィリングをはさみ、トマトソースがかけられたそれはいかにもおいしそうだった。冷めないうちにと、頭の片隅にうねうねしたパスタを浮かべながら読んでいた本を置いて、ナイフとフォークを手に取る。

    フィリングがあふれてしまうのではないかと恐る恐るフォークをいれて半分に切る。

    しっかりと練り合わされたフィリングは存外歯切れよく、切り口はぴったりと閉じた。ほっとしてフォークを深く刺しなおしトマトソースを絡めて口に運ぶ。

    ポルチーニ茸の土のような甘い香りにどきどきする。濃厚なフィリングとほんのり甘みのあるつるんとした口当たりの一口に安心した心持でワインを軽く含んだ。

    黄色い抑え目のライティングの手元にはオレンジがかった赤いトマトソースと黒味がかった赤ワインが並ぶ。

    二口目を食べながら、ふと、金魚を食べているようだと思った。

    まだ小さくて鮮やかな赤色がかわいらしいぴちぴちの金魚。

    それは夏祭りの戦利品。翌日、水槽にべったりと顔をつけ、様子を伺う。

    逃げるように小さな尾びれを震わせ泳ぐそれを飽きもせず眺める。

    わたしのものだよと水槽をこつこつとつつく。

    数日後、腹を見せて浮かぶそれに気付き、母親に土に埋めてくれと頼む。

    次のラビオリにナイフを入れたとき、滑らないようにとフォークをしっかり刺した。

    水分をたっぷり吸ってつやつやした白い生地にトマトソースを絡めゆっくり咀嚼する。

    一皿食べ終わらないうちにグラスが空いてしまった。

    一杯だけのつもりで家を出てきたが、それで終わるはずがない。金曜日はまだ来ない。

    もう少し酸味を抑えた深い赤をと告げる。