• Journal

    有明の海

    2022年7月17日午後5時頃、有明海は干潮前だった。遠浅の海はまだ高い陽に照らされ白い光を放っていた。水面はとくとくと揺れる。
    6年ぶりに熊本の祖父母を訪ねた後、宿泊先の天草へ向かう道中、どれだけ車を走らせても有明海はずっと豊かで、静かに、傍にあった。目線を遠くにやると山影があった。低い山がいくつも連なる。島原の山か。

    その日、叔母が用意した昼食を従妹家族と9人で囲む中、祖父は「耳も聞こえんし目も見えん。頭も分からん。」と言い慣れた口調で3回は言った。昔から祖父の言葉は訛りが強く聞き取れないことも多かったがこれだけはよく聞き取れた。
    祖父がトイレに立つとき初めて杖をついていることに気づいた。そして祖父は、硬くて食べられないと言って白米を残した。
    6年前に訪ねたときのこと、祖父が軽トラを運転してくれて小高い丘の上の神社に2人で行ったときを思い出す。長い階段の先、有明海を臨みながら、また連れてきてほしいとお願いした。

    「海、きれいだね」とレンタカーを運転する夫が言う。祖父母が生涯を過ごす風景であった。