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    パン生活事始め

    結婚祝いにと、姉夫婦からすてきなトースターを頂いた。外はカリッと中はもちっとしたトーストを焼き上げる優秀な機能を備えている上に、オフホワイトの丸みのある形状が抜群にかわいい。
    早速近所の有名なパン屋さんで食パンを買って焼いてみる。スイッチを入れること2分弱。トーストとはこんなに美味しいものであったかと感激する。

    翌朝からの朝食をトーストに切り替えるべく買出しに出る。

    高校生の頃まで毎日の朝食はトーストだった。母親がスーパーで買ってくる8枚切の食パンにマーガリンを塗り、焼くというよりもマーガリンが溶ける程度に温めて食べていた。小学生の頃から、母親がお弁当の準備をする横で飽くことなく毎日そのようにして朝食を済ませていた。
    しかし、大学生になって以降は、帰りが遅くなり夕飯を翌朝に食べるようになったこため、日常的に食パンを食べることはなくなった。それに伴い母親もルーティンとしてパンを買うことはなくなり、ときたま食べたくなればそれは百貨店で扱うホテルブレッドだったり、美味しいと評判のパン屋さんへわざわざ遠出してみたりと、そのようにしてパンを食べることはちょっとした贅沢となっていた。

    スーパーのパン売り場に立ち、ずらりと並んだ食パンを見渡す。これまではパンを買うのに贅沢も奮発も厭わなかったけれど、毎日のこととなるとそうはいかないように思えたのだ。
    その一方で毎日のことだからこそ安全で美味しいものを選ぶべきではないのかとも思えた。さらに、最近流行の1斤が1,000円もする高級食パンならいざ知らず、町のパン屋さんの数百円のものを諦めなくてはいけないのかと聞かれると難しい。しかし、消費期限が短いのが難点ではある。2-3日で半斤食べきれる自信がまったくない。そうなるとやはり保存料やらなにやらと添加物がたっぷり使用された工場製品にするほかないだろう……ぐるぐる悩み始めるとキリがなく、実家ではそうだったのだからと、目の前の棚に積んである中から消費期限の長いものを確認してかごに入れる。
    毎日バタートーストだとなあ、という夫の言葉を胸に、薄切りハムを目指す。
    実は先週初めて自分でウィンナーを買った。ウィンナーがあると自炊をする上で何かと便利なのは分かっていたが、高校の家庭科の授業で加工肉の油分や成分の解説を受けたときの衝撃以来、大量生産の加工肉に強い抵抗感がある。とはいえ、安全なものをと思うと値段のために手が出ない。それでも先週はどうしてもナポリタンが食べたくなってしまい、とうとうスーパーでウィンナーを買うことにしたのだ。だからもうここで迷うことはないのだ。
    さて、と明後日が消費期限のものと1ヵ月後が賞味期限の2種類のハムを見比べる。明後日が消費期限のものは比較的少量ではあるが食パンと同様にやはり使いきれる自信はない。ウィンナーの初購入を果たした経験で以って賞味期限の長いものを購入することに決めたが、手を伸ばすとき、ちらと成分表示を見た。列挙される保存料は予想通りだが、「コチニール」という表示に思考が逆回転する。こちらでも高校の授業で見たコチニールカイガラムシを着色料として加工する動画が記憶に蘇り、さすがにだめだと、足の速いほうを手にとる。一応と、成分表示を確認する。「コチニール、くちなし」
    もう八方塞だと、気分を変えるために一旦売り場を離れる。
    乳製品コーナーではプラスチック容器に入った使い勝手のよいバターは軒並み売り切れていて、アルミに包まれているものしか残っていなかった。その一方で、マーガリンはたくさんあった。また悩んでしまう。マーガリンも美味しいのは知っている。溶けやすく使い勝手がいいのも知っている。しかし、マーガリンに多く含まれるトランス脂肪酸の身体への影響について一時期話題になっていたではないか。そのことを知っていてわざわざマーガリンを選ぶのは気が引けた。善意ならいざ知らず、悪意の上でそのようなものを家庭で出すような所業をしていいはずがない。しかし、安価さに惹かれてしまう。バターを切り分ける手間が省けるのも嬉しい。
    買い物はすばやく済ませるようにと叫ばれる現況下にも関わらずたっぷり十分間悩み、「トランス脂肪酸の低減に取り組んでいます」と表示されたマーガリンをかごに入れる。やむを得ない、明日からの朝食が懸かっているのだ。
    レジへ向かおうとするところでハムを選んでいないことに気付き、売り場に引き返す。賞味期限の長いハムを選ぶ。

    電子決済での支払いはなんと買い物をスムーズにしていることだろう。
    いまだにこれでよかったのだろうかと悩んでいるうちにレシートが発行される。

    実家のトースターは30年選手だ。我が家のトースターも先は長い。まだまだたっぷり悩める。
    まず手初めにと、食の安全についての本をネット注文した。今回買ったパンを食べきるまでには届くだろう。読み終えるのはハムを食べ終えるころだろうか。

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    食べるということ #darkness

    食べることが好き。
    食べ物の彩り、かおり、手やカトラリーで触れたときの感触、食感、その全ての味わいを楽しむにはほかのことを考える余裕はない。思い切り没入できることがあることはいいことだ。

    ときどき、全てが嫌になる。そういう時間は誰にでもある。だからもちろん私にもある。


    眠って忘れてしまえばいい。でも、うまく眠れない。
    ぼーっとテレビでも見ていればいい。でも、流し見の苦手な私はまともに流れ込んでくる情報の量に耐えられない。
    気分転換に運動する気力も、部屋の掃除をする気力も、何も、何もない。チョコレートを溶かしたような粘度のdepressionに絡め取られ、ただただその強い芳香の中に沈んでいく。何もせず、時間が過ぎるに任せようとするのを誰かが責める。一方で、うずくまっている隙を狙って日々のあらゆるタスクが頭を駆け巡る。ひゅんひゅんと音を立て、極彩の残像を残すそれらを退治するために、何かせねばと気が逸る――何も出来ないくせに――もう、耐えられない。

    甘いものが好き。
    アイス、ケーキ、ドーナツにクッキー、和菓子だって何だって好き。
    シュークリームを食べたいと思う。カスタードの舌触りとやさしい甘さが身に浸みる。
    チョコクッキーを食べたいと思う。サクサクとした食感に夢中になる。
    ドーナツを食べたいと思う。たっぷりとしたボリューム感に安心する。
    どら焼きを食べたいと思う。ぎゅっと詰まったあんこを挟むじわっと甘い皮が贅沢だ。
    アイスミルクを食べたいと思う。待ちきれない私はパッケージを破り、アイス片手に家へ向かう。

    食べることが好き。
    食べ物の彩り、かおり、手やカトラリーで触れたときの感触、食感、その全ての味わいを楽しむにはほかのことを考える余裕はない。
    お菓子を食べている私は忙しい。忙しすぎて嫌なことはつい全部忘れてしまう。満たされゆく胃だって無重力空間に飛ばしてしまう。

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    over coffee

    朝、カウンターを隔て、わたしはキッチンで、夫はリビングで、コーヒーを飲む。ラジオから流れる朝のニュースにあれやこれやと言いながら。はやり病へのぼんやりとした不安を抱えながら。
    7時30分になり、それぞれの部屋に解散する。

    このごろわたしたちは、感染症感染拡大防止対応としてそれぞれの会社から在宅勤務を命じられ、ひとつ屋根の下で仕事をしている。就業時間が異なるために昼食は別に摂るので、朝、各自の部屋に解散したら終業するまで顔を合わせることはない。お互い淡々と自身の業務に取り組む。6:30にそれぞれの会社に向かおうと、手を挙げ解散したきり夜まで顔を合わせることのない、これまでのふたりの距離感と何ら変わりはない。

    その日はどういう風の吹き回しだったのだろう、夕方ふたりでジョギングに行くことになった。仕事の手を止め、着替えて家を出る。わたしのペースで、ふたり並んで家の近くの川沿いを走る。日がのびて、夕方5時を回ってもまだ空は明るい。切れ切れの息の中でも、夕日に照らされた桜に感嘆の声を上げる。

    帰宅してすぐ夫は風呂場に向かう。ほとんど汗をかいていないわたしは夕食の準備を始める。梅干しをつぶし、大葉と一緒に鶏の胸肉で挟んで焼く。ブロッコリーを添え、大豆の煮物とお味噌汁と食卓に並べれば一汁三菜の食事の出来上がりだ。シャワーを浴び、さっぱりした夫と向かい合って食べる。片付けは彼に任せ、シャワーを浴びる。キッチンに戻ると、もう彼は自室に引き取っており、仕事を再開しているようだった。わたしも白湯を飲み、仕事に戻る。

    夜の10時、仕事は山積みだが、いつまでも仕事が続けられる環境だからといって就業規則を無視していいわけもなく、その日はPCを閉じた。夕方走ったおかげで心地よい疲労感が身体を包み、少し早いが寝室に向かう。夫も仕事を切り上げてきて、ふたりベッドに横になり一日を振り返る。

    朝起きて、ゆっくりコーヒーを飲んでから日々の生活のために仕事をする。気分転換に身体を動かし、ゆっくりと食事をする。自分の時間を自分の好きなように使え、なんと充実した一日であったことか。

    これが生活だよねえと話す。

    毎日、会社に縛られてへとへとになるまで仕事して、帰ってきたら寝るだけの生活なんておかしいよねえと抱きしめあう。

    寝物語にと、将来の夢の話をしてみせる。大学生のころに思い描き、それから変わることのない、イギリスの湖水地方でコーヒースタンドを営むという夢。
    きっとスタンドには近所の人しか来ないだろう。コーヒーを買いに来たのかおしゃべりをしに来たのか分からないお客さんを相手にするお店に座って、本を読み、文章を書きながら、ロマン主義が生まれた彼の地の、物憂くも美しい景色の中でその日暮らしの生活を送る。
    夫は眠たげな声で、いいねと相槌を打つ。

    コーヒースタンドで生計を立てる生活への思いは年を重ねるごとに強くなってきている。
    そこでは今のように、余裕があり、贅沢なものを食べたり旅行に行ったりはできないだろう。むしろ、明日への不安を抱きながら、相当工夫して切り詰めて暮らしていかなくてはならないだろう。それでも、見えない力に引っ張られるようにしてあくせく働き、これまでの人生で私が大切にし育んできたものを忘れ、知らぬ間に自分を殺して社会に順応するよりはずっといいように思える。

    寝しなに明日のジョギングの誘いを受けたが、筋肉痛がつらいだろうから私は散歩にしておくと返した。