over coffee

朝、カウンターを隔て、わたしはキッチンで、夫はリビングで、コーヒーを飲む。ラジオから流れる朝のニュースにあれやこれやと言いながら。はやり病へのぼんやりとした不安を抱えながら。
7時30分になり、それぞれの部屋に解散する。

このごろわたしたちは、感染症感染拡大防止対応としてそれぞれの会社から在宅勤務を命じられ、ひとつ屋根の下で仕事をしている。就業時間が異なるために昼食は別に摂るので、朝、各自の部屋に解散したら終業するまで顔を合わせることはない。お互い淡々と自身の業務に取り組む。6:30にそれぞれの会社に向かおうと、手を挙げ解散したきり夜まで顔を合わせることのない、これまでのふたりの距離感と何ら変わりはない。

その日はどういう風の吹き回しだったのだろう、夕方ふたりでジョギングに行くことになった。仕事の手を止め、着替えて家を出る。わたしのペースで、ふたり並んで家の近くの川沿いを走る。日がのびて、夕方5時を回ってもまだ空は明るい。切れ切れの息の中でも、夕日に照らされた桜に感嘆の声を上げる。

帰宅してすぐ夫は風呂場に向かう。ほとんど汗をかいていないわたしは夕食の準備を始める。梅干しをつぶし、大葉と一緒に鶏の胸肉で挟んで焼く。ブロッコリーを添え、大豆の煮物とお味噌汁と食卓に並べれば一汁三菜の食事の出来上がりだ。シャワーを浴び、さっぱりした夫と向かい合って食べる。片付けは彼に任せ、シャワーを浴びる。キッチンに戻ると、もう彼は自室に引き取っており、仕事を再開しているようだった。わたしも白湯を飲み、仕事に戻る。

夜の10時、仕事は山積みだが、いつまでも仕事が続けられる環境だからといって就業規則を無視していいわけもなく、その日はPCを閉じた。夕方走ったおかげで心地よい疲労感が身体を包み、少し早いが寝室に向かう。夫も仕事を切り上げてきて、ふたりベッドに横になり一日を振り返る。

朝起きて、ゆっくりコーヒーを飲んでから日々の生活のために仕事をする。気分転換に身体を動かし、ゆっくりと食事をする。自分の時間を自分の好きなように使え、なんと充実した一日であったことか。

これが生活だよねえと話す。

毎日、会社に縛られてへとへとになるまで仕事して、帰ってきたら寝るだけの生活なんておかしいよねえと抱きしめあう。

寝物語にと、将来の夢の話をしてみせる。大学生のころに思い描き、それから変わることのない、イギリスの湖水地方でコーヒースタンドを営むという夢。
きっとスタンドには近所の人しか来ないだろう。コーヒーを買いに来たのかおしゃべりをしに来たのか分からないお客さんを相手にするお店に座って、本を読み、文章を書きながら、ロマン主義が生まれた彼の地の、物憂くも美しい景色の中でその日暮らしの生活を送る。
夫は眠たげな声で、いいねと相槌を打つ。

コーヒースタンドで生計を立てる生活への思いは年を重ねるごとに強くなってきている。
そこでは今のように、余裕があり、贅沢なものを食べたり旅行に行ったりはできないだろう。むしろ、明日への不安を抱きながら、相当工夫して切り詰めて暮らしていかなくてはならないだろう。それでも、見えない力に引っ張られるようにしてあくせく働き、これまでの人生で私が大切にし育んできたものを忘れ、知らぬ間に自分を殺して社会に順応するよりはずっといいように思える。

寝しなに明日のジョギングの誘いを受けたが、筋肉痛がつらいだろうから私は散歩にしておくと返した。