• Journal,  TANKA / HAIKU

    休息までは程遠くて

    自席に戻りジャケットを脱ぐと香ばしいにおいが発散した。大した役は任せられていないくせに、先ほど終わったばかりの自部門主催のイベント中はずっと興奮気味で、脇の下はじっとりと湿っていた。日中溜まった仕事のうち簡単なものは片付けておこうとPCを立ち上げるも、身動きするたびに立ち上る自分のにおいに耐えきれず、そのまま帰ることにした。
    金曜夕方の電車は人もまばらでゆとりはあるが、通勤用に持ってきた本を読む気になれない。スマホは改札を通るときから握りっぱなしで、神経質な親指はTwitterとinstagramをひたすら交互にリフレッシュする。毎秒更新されるほどフォローしているわけでもないのに何度も何度も繰り返す。最寄り駅まであと10分ほどのところで漸く目の前に座る人が立ち上がった。スーツのスカートのしわを気にしながら座り、いつものリュックと、イベント用に念のため持ってきた諸々を詰めた大きなトートバックを膝に抱え目をつぶる。

    最近、夫は金曜日も帰りが遅い。それでもふたりでご飯を食べる時間をとってくれるからありがたい。今夜は家でゆっくりお酒飲むのとお店でぱーっと楽しむのはどちらがいいだろう、どちらでもいいようにすればいいか。家なら断然餃子だが、外なら焼き鳥がいい。そういえば駅直結のスーパーに美味しそうな餃子の皮が売っていたから、それがあったら餃子を作ろう。無かったら冷凍餃子でもいい。

    駅のホームを上がっていく。おつまみも買っていこうとカゴを取ったがめぼしいものはなかった。カゴの片隅に餃子の皮だけ鎮座させたままレジに並ぶ。総菜やおつまみが豊富なこのスーパーはよく混み、あまりの列の長さに店の代わりに客はけの悪さの真因分析を始めてしまう。列が生パスタの棚前まで進んだ時、明日のお昼は美味しいパスタを食べようと思いつき、リングイネとフィットチーネどちらにしようか迷っていると、隣のオリーブを取ろうとした人がいたので列の間隔を少し開けた。すると、オリーブを持つ人はそのまま列に収まった。そうか、と思った。列はなかなか進まず、前に入った人がやたらと気になった。

     蛇の尾の長さ見るべし ぬっと出づる膝裏つつく買い物かごで

    会計の順番が来た。レジ袋は断ったのに餃子の皮とパスタをそれぞれ水袋に詰めようとするものだから、水袋もいらないですと言ったら、思いのほか大きな声となって驚いた。

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    楽しむ力のエトセトラ

     埼玉で主婦業を営む母が平日の17:30に有楽町に来た。2時間かけてやって来た。映画の試写会に参加するためだ。わたしが誘ったのだが、お風呂のスイッチを押すことさえ母を呼びつけるような父親を、どう説得して遊びに来たのかと訝しんでしまう。

     ギリギリになってもいいようにと会場の近所で夕飯をとった。お店を出て、すぐそこだよと声をかけると、あの新しい建物?と母に聞き返される。どれを指してるのか分からないけど新しくはないかな…などと話ているうちに劇場に着いた。
     席に着いて間もなく劇場は暗くなった。試写会といえど映画泥棒のムービーから始まる。シネコンの最新設備に慣れていると、ハイスピードで逃げ走る映画泥棒の残像はなかなかの衝撃だ。物語が面白ければ問題ないと言い聞かせながら姿勢を正すも、主人公の女性が古風な髪型で「~だわ」と話したり、いけ好かない男が歯の浮くようなセリフを並べまくったり、メインどころの若い女性は朗読劇のように喋ったり、暗がりの中で隣の母をつい見てしまう。とはいえ、市民交響楽団の存続についての物語が進むにつれ、豊かな人間模様の描写や登場人物の奏でる音楽に、わたしは隣の母の顔色よりもスクリーンの世界に興味は移っていった。
     映画が終わり、劇場の明かりが点くなり母の方を伺った。母もこちらを向いており、「音楽すごかったね」と満足そうに言った。わたしも負けじと「映画を見にも来たんだかコンサートを見に来たんだか分からないね」と答えてみる。
     その途端、自分はすごいものを見たのではないかという気がしてきて、続くトークイベントに主演女性が登壇することへの期待感が高まった。

     残念ながら登壇した美しい主演女優は遠くてはっきりと見えなかった。しかも、ファシリテーターの若いタレントはとても緊張しているようで台本通りにしかコメントできない。さらに、収録エピソードを語る中で俳優たちの名前が挙がるが、芸能人に疎い我々にはちんぷんかんぷんだ。しかし、これが試写会の醍醐味なのだ。

     会場が締まり、興奮のまま感想を言い合いながら有楽町駅に向かった。
     帰りの電車の中、ひとりで試写会のパンフレットや公式HPを読み漁った。

     母が来てくれなければ、私は仕事を早めに切り上げてまで試写会には参加しなかっただろう。例え、仕事がすんなり終わってひとりで来たとしても、無料で見られたからいいがと白けた気持ちでいただろう。
     今日を楽しみにしてくれていた母が、楽しむ力を与えてくれた。

     23時過ぎ、家に着いたと母から連絡がきた。