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「予約連絡(横浜市立図書館)」
「予約連絡(横浜市立図書館)」と題するメールが呼び出しの合図だ。最寄りの図書館に行き利用者カードを渡せば図書館員はカウンターの奥に引っ込み約束の本を持ち出してくる。ものの1分もかからない。検めるよう言われた題字もろくに確認しないまま貸出手続きをしてもらう。家に帰り、バッグから本を出して初めて『ドク・ホリディが暗誦するハムレット』を借りたことを知る。
全く身に覚えがない。著者は岡崎武志。wikipediaには大阪出身のフリーライターであると記載されている。「神保町系ライター」とは何だ。『ダ・ヴィンチ』に連載を持っているのか。TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」に出ているらしい。毎朝聞いているはずなのだが。とにかく初めて知ることばかりだ。
そう、呼び出されるがまま図書館に行くと大抵こうなる。書評や、読んでいる本の中で紹介されて興味を持った本は図書館で借りることが多い。しかしそういった話題本は読みたい人が当然に多く、ほとんどの場合、即日で借りられず予約待ちとなる。予約待ち20人なんてザラで、取り置き期間は1週間、その後2週間借りられるので、ひとりの利用者のところで3週間留まるとすれば手元に届くのに5か月はかかってしまう。話題本は図書館が複数冊所有していることもあるし、早く返す人もいるから実際にはもう少し回転はいいだろうが、いずれにせよ順番が回ってくる頃には予約したことさえ覚えていない。
ということで、図書館で予約した本はタイムカプセルのようにして私の手元にとどく。本の中で引用されていたものは、以前読んで面白かった本と分野が類似するから、当時の私はこんなことにも興味があったのだなあと思い出ししみじみする一方で、書評で紹介されていたものは、どこで誰のどんな評を読んだのかといった出会いの経緯もすっかり忘れており、何が自分の琴線に触れたのかしらんと首をかしげてしまう。
とりあえず持ち帰ってきたエッセイ集の表題作のページを開く。岡崎によると、酔いどれ医師ドク・ホリディのOK牧場の決闘を描いた映画作品『荒野の決闘』は映像的に優れた作品らしい。Wikipediaによると、OKはOld Kindersleyの略で、OK牧場はアリゾナ州にあったらしい。ガッツ石松のギャグにも元ネタがあったということだ。 -
接触
鎌倉駅西口を出て由比ガ浜に向かう途中、前方に人だかりがあった。平日の午前中に大学生とも観光客とも見えない集団が何をしているのかと通りすがりに人々の隙間に目をやると、白髪の女性が横たわっており、枕にしている電柱の根元には血だまりができていた。そして向かいの八百屋からは、真っ白なタオルの入ったビニールを裂きながら大股で出てくる男性があった。
私は転職に際して1か月間の有給休暇を過ごしているところで、旅行もし難い時勢にあるため、時折近場のいいところでランニングをするようになっていた。由比ガ浜から出発して江ノ島の灯台を折り返し戻ってくるコースは、晴れれば富士山が見えて気持ちがよく、走りに来るのはこれで3回目となる。往復で同じ道を通るから、腰越海岸あたりでおばあさんが歩道に椅子を出して日向ぼっこをしているのをこれまでに4回は見ている。前回は、走りながら聞いているラジオで魚の一夜干しが家で作れるなんて話をしていたものだから、このおばあさんも干物になってしまうのではないかと考えながら走りすぎたものだが、今回は定位置にその姿はなかった。
どうにか15キロを完走し鎌倉駅へ戻る途中、来たときに人だかりができていたところを見遣ると水をまいた跡と古ぼけた自転車だけが残っていた。自転車のカゴには防犯用のカバーがかかっていた。
そういえば、その前の土曜日の夜に家の近くの横断歩道の先で自転車2台が倒れるのを見た。自転車と同じ側で信号を待っていた人3, 4人が倒れた自転車を起こすのを手伝う。自転車に乗っていた一人は立ち上がろうとするもよろけて尻餅をついてしまう。信号が青に変わり、彼らの横を通るとき、3, 4人のうちの1人が携帯でどこかに電話していた。スーパーで買いものを済ませてその横断歩道に戻ると、そこには救急車とパトカー、それから自転車1台が止まっていた。人は1人もいなかった。
そんなことをつらつら振り返りながら鎌倉から横浜に向けて横須賀線に乗っていると大船駅で小さなキャリーケースと歩行器を抱えた女性が駅員に介助されながら乗り込んできた。保土ヶ谷駅で電車が止まる時、慣性の法則に従ったキャリーケースが女性のそばを離れ、こちら側へ滑ってきた。私は、手を伸ばしてキャリーケースの取っ手をつかみ、持ち主の座る優先席へ引っ張っていった。お礼を頂いたので、マスクをしていても伝わる程に微笑んで席に戻った。
私がキャリーケースをキャッチしたとき、隣に座っている女性が私の方へ顔を向けていた。今回は私の順番だったということか。 -
「先に進むには今持っている全部は持っていけない」って誰かが言っていた
自分が転職を決心する日がくるとは思ってもみなかった。
これまでも転職活動をしたことはあった。今の仕事をずっと続けていいのだろうかという漠とした不安。会社の業績悪化のざわめきに煽られる不安。しかし、もらった内定通知書から導き得る未来と、そのときに身を置く環境から続くであろう未来とを秤にかければ後者に傾く。何度も迷い、その度同じ場所から同じ方角に向けて走りなおす私が、まさか現職を辞めて新しい環境で走り出すことを選ぶとは。面接を終え、めでたくオファーをもらった後の第1の難関は、転職することをボスに切り出すことだった。
ボスには、新社会人であった配属時より業務の手ほどきを受けていただけでなく、仕事に対する不安を受け止めてもらうこともあった。迷いや停滞が業務に顕在すれば、厳しい指摘を受けることもあったが、その度に私はここで頑張るのだと宣言した。
転職は、私なりの考えがあっての決心ではあるが、これまでの宣言を反故することに相違ない。失望させることをひどく恐れていた。当初、これとは別に上半期の評価面談を直接の上司Mさんと3人でする予定だった。これがオファーを受けた1週間後で、忙しいボスの予定を変更するのも難しかったのでこの日に転職を切り出すことに決めた。アポが近づくにつれ、快く送り出してくれるのではないかと楽観的な考えを持つようになっていた。アポ前日には、もはや驚かれることなく受け止められるだろうと考えていた。むしろ、当初予定していた評価面談を、勝手にMさんを抜きの退職のお知らせに議題変更してしまうことが失礼な振る舞いではないかと気にかかっていた。
そして、実際は、前日に想定していたとおりになった。前の予定が押したのだろう。遅れて入室してきたボスは席に着くなり切り出した。「Mさん抜きで二人で話したいことって何?」
「えっと……退職したい……退職します。」
「あら、どうしたの」
応募先企業との面接と異なり、転職の必然性を語るのに熱意はいらなかった。転職活動をした理由は面接官に語ったよりもいくらかトーンダウンし、転職先での業務は丁寧に伝えた。どのように話をすべきか相談した姉からは、現職への不満を一切吐露しないで済むよう家庭の事情を理由とするようアドバイスをもらっていたが無視した。ボスに対してそんな茶番はできなかった。慕っている上司を前に決心に至るまでの葛藤を知ってほしいと思うほどに甘えた気持ちはないが、27歳にもなって評価面談で気持ちが昂ってしまう私が、建て前でこの場をやり過ごすことはできなかった。
そして、デスクで待機しているMさんを呼び、会議室には3人となった。ボスが切り出す。
「Nさん、退職します」
Mさんは、一瞬、のけぞるように顎を上げた。驚いたときのいつもの反応だった。そして退職日をどうするかを確認して解散となった。面談は20分もかからなかった。どのタイミングだか覚えていないが、Mさんに「いいところ見つかったの?」と聞かれた。一瞬言葉に詰まったが「はい」とだけ、努めて明るく答えた。Mさんは目を細めて頷いた。仕事を褒めるときとも、結婚報告のときとも違う表情であった。いつか私も、子どもや部下の旅立ちに立ち会ったとき同じように目を細めるのかもしれない。
引継ぎ等の細かい話をすることに備えて会議室に持ち込んだPCをデスクに戻してトイレに向かった。いったん呼吸を落ち着けなくてはいけなかった。それから普通に仕事をした。先輩からの頼まれごとにもいつもどおり対応した。その日は定時で退社し、会社から隣駅まで歩きながら母親に電話をした。父親は転職に反対だったらしい。きっと今より忙しくなるだろうから、きっと子育てに苦労するだろうから。
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ハムカツ定食
こころの乱れは食事に出、悪食がまたこころを蝕む。ダイエットのために設けた食事制限は無視され、電子決済アプリの履歴を見ればコンビニでの支払いがかさんでいた。負のスパイラルを止められるのはスイーツバイキングでも、きれいなレストランでのディナーでもない。私を救うことができるのは定食なのだ。これが一人前だと白米とみそ汁とおかずが過不足なく供される。私は目の前に並べられた食事を迷いなく平らげるだけでいい。
在宅勤務の昼休み、近所の定食屋さんに行く。そこのハムカツは400gもあるということでテレビの特盛レストラン特集なんかでも取り上げられたことがあるらしい。インターネットで調べた情報に倣いハムカツ定食を注文し4人掛けのテーブル席で壁に貼られた有名人のサイン色紙を眺めていたら、後から入店してきたガタイのいいスーツの男性が相席になった。よく来ているのだろう、席に着くなり短く注文をした。そして先に男性の料理が来る。ドライカレーに粗びきのハンバーグがドンと乗っており、これは何だと急いでメニューを見直す。ハムカツのほかにも美味しそうなものがあるのではないかと後悔し始めたところに私のハムカツ定食が来た。
皿の上には厚さ3センチ程度のピンクの断面が4つ並ぶ。実物を前にすると、あまりのダイナミックさにどう手を食べればいいのかと困ってしまう。とりあえずはお作法どおり味噌汁を一口含み、プレートに盛られた白米を口に運ぶ。ハムカツに手を伸ばす前に改めて卓上を見まわし、私に提供された道具は現に手に持つ割りばしのみであることを確かめる。フォークもナイフもなかった。迷うことはない、つかむ道具であるところの箸でしっかりハムカツをとらえ、切る道具であるところの歯でもってそれをかじる。咀嚼し、嚥下し、またかじる。かじる。大きな揚げ物の塊をかみ切るとき、分厚いハムの弾力を感じた。咀嚼するときに崩れるその脆さに、衣の甘さに、ハムカツを知る。おしとやかに一口大に切らなくとも私はそれが食べられる。一汁三菜を平らげ店を出る。こんなに満たされる食事はあっただろうかと考えながら午後の勤務を目指し家路を急ぐ。
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米屋のカレンダー
スーパーで夕飯の材料を買い、家の近くの米屋に寄った。新米ステッカーが貼られた秋田県産あきたこまちの玄米を2kg頼む。宮崎県産コシヒカリにも新米ステッカーは貼ってあった。値段もあきたこまちと同じく480円/kgだった。米屋のおじさんは、バケツのような計量カップで米櫃から玄米を掬いながら「960円ですね」と言う。私は右手の親指でpaypayを立ち上げ、レジ横に掲示されたQRコードを読み取って9, 6, 0、と打ち込み、おじさんを待ちながら陳列棚を眺めていた。「冷めても美味しいブランド米!」というポップの下には1280円と書かれた値札が置かれていた。米袋を提げたおじさんがレジに入ってきたので、携帯の画面を見せて支払いボタンを押した。さっきまで静かにしていた私の携帯が「ペイペイ!」と声を上げる。私たちふたりは何も言わなかった。
無言のままおじさんが新しいビニール袋を出そうとするので「大丈夫です」と断るとお礼を言われた。「カレンダー、渡しましたっけ?」と聞かれ、「いえ」と答える。段ボールから筒状に丸められたカレンダーを引き抜こうとするので「今日は雨だから。また年内に来るでしょうし」と断ると、「なくなっちゃうから」と今度は食い下がった。貼る場所がないからと言えない私は「ありがとうございます」と言って受け取った。自動ドアの『押してください』ボタンを押して「いただきます」と半身でお辞儀をしながら店を出る。
『いただきます』でいいのだろうかといつも悩む。『ごちそうさまです』ではないとも思うけれど。空いているけれど私のじゃない壁 畳に転がす2022
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M式、私式
人の顔というのは、顎を引けば張り出した額に光が当たり、鼻根より下は影になる。
お前のその影に指をつっこみ肉を掬い出してやりたい。生温かな、黄色の、塊。そう、瞼の描く半円に沿って5本の指を差し入れてやろう。私を見ようともしないその目から光を奪ってやろう。
展示室の入り口で私を出迎えた2枚の自画像に暴力的な気持ちが沸き起こる。
アーティゾン美術館で、企画展「M式「海の幸」森村泰昌-ワタシガタリノシンワ-」が開催されている。石橋財団コレクションと現代美術家の共演する試みとして、今回は「海の幸」等で知られる青木繁と、今東西の絵画や写真に表された人物に変装し、独自の解釈を加えて再現する「自画像的作品」をテーマに制作する森村泰昌が共演することとなった。
企画の中心は、森村が「海の幸」を再解釈するにおいて制作された新作である。その導入として、本企画展は青木の作品から始まる。
青木にとって、彼の強烈な自己意識を表現するには、自画像はうってつけの題材であったという。それを入り口に配することで、鑑賞者の画家に対する理解を促す。私は彼の自負心を察知した。淡彩画による3枚目の自画像では、青木は、薄闇を背に顔だけをこちらに向ける。キャプションに記された粗野な暮らしぶりがその自画像に奥行きを持たせるも、入り口の2枚とは異なり、その絵が私にもたらした印象はカンバスに乗せられた色の淡さと同程度でしかなかった。
しかし、本作品が本企画における青木と森村の結節点であった。森村が青木に扮した自身の写真を用い、青木の自画像を再構築させた絵がそのはす向かいに位置する。青木と同じように横を向いた身体を、オレンジの線がなぞる。精神からなのか、身体からなのか、皮層からエネルギーがほとばしり暗闇でスパークする。目線は遠く、高く、獲物に照準を定めたまま動かない。冷や水のように嫉妬と悔恨が私の頭からつま先へと流れた。
森村は青木を理解しようと試み、その結実のひとつとしてこのポートレートがあった。左に並ぶオリジナルの肖像画より強いインパクトを持つその絵。それは写真を用いたことによる本物らしさの増大にだけよるものではない。単なる転写ではなく、森村なりの解釈と森村のエネルギーが青木のオリジナルをエンハンスさせたのであろう。
青木に森村を重ねることで前景化される森村。これが森村の自己表現であったか。強い自意識を持つ青木にとっても自画像は格好の題材だったという。私も、自画像を描けば自己の正体を見出すことができるだろうか。しかし、私は絵筆の持ち方を知らない。こうやって文章を書いていれば、その蓄積が私の自画像となっていくのであろうか。そうであればキーを打つ手を止めるわけにはいかない。
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たばこ
寒くなるとたばこが吸いたくなる。午後の仕事がひと段落した16時ごろ、次の仕事に取り掛かる前、いつもより静かに席を立つ。階段を下りながら、お財布やらハンカチやらを入れている小さな手提げをまさぐって、フラッシュメモリスティックより一回り大きいくらいのプラスチックのバーとビニールに包まれた箱が手に当たるのを確かめる。
5階の非常扉は6畳ほどのバルコニーに繋がっている。しかしこのバルコニーは、この語が想起させる、大小さまざまの鉢植えに太陽がさんさんと降り注いているような明るい空間には程遠く、ただ真ん中にさび付いた赤い灰皿スタンドとバケツだけが置かれた場所である。
扉から向かって右角に陣取り、手提げから100円ライターと赤のマルボロを取り出す。火を点け、1口目。軽く吸い、けむりが肺に入るのを確かめる。空気より重くて、空気と違って味がある。2口目、深く吸い、けむりが肺を満たすのを感じる。
遠くを見ると、空はもう昼休みに見た青空ではなくなっていた。水色というには暗すぎて、黒というには明るすぎ、東京駅周辺のビルから漏れる明かりと空の明度は一致した。しかし、あと30分もすれば完全に日が沈み、長い夜が始まる。そしたらビル群の明かりが夜の黒を圧倒するだろう。
肺を満たした煙の分だけ、息を吐く。
光が入れ替わる時間は、空気も入れ替わるのだろうか。けむりに絡まり肺に忍び込んだ空気はひんやりしていていた。身体の表層にまとわりついている陽の名残も人々がオフィスで発散させている熱気も忘れさせる。急いた分だけたばこが短くなるのも厭わず、束の間の均衡を味わい損ねることがないよう3口目、4口目……苦みが強くなる。
水を張ったバケツで火を消して吸い殻入れに始末しバルコニーを後にする。
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It’s mine
朝靄が山々を包む。白い光が空を満たし、木々の影は紫から赤へと色を変えていく。壁いっぱいの窓枠は、その浅間尾根の目覚めを一枚の絵画のように切り出した。
清廉な明け方——夜更けの雨は深酒の狂乱を洗い流し、乱痴気者が寝静まった頃を見計らい瞬いていた満点の星空はここに終着した。太陽の明かりは鑑賞者の不在に耐えかね、私を夢の底から引き上げた。
シェードを下ろし忘れたガラス扉から漏れる光に誘われ外へ出る。
息を吸い、息を吐く。姿の見えない鳥が鳴き、眼前を占める山が未だ漂う朝靄と絡み合う。どうしてくれようか。
夫の友人夫婦と4人で奥多摩の一棟貸しホテルに宿泊した。所在地は公表されておらず、予約完了メールと共に目的地としてフラグの立ったGoogle mapの情報が送られてくる。それに従い細い山道を登っている間、何台かの車とすれ違いはしたが、私たちの行く先にはそのホテル以外何もないようであった。
開放的な部屋で映画を見ながらくつろぎ、夜には持ち込んだ食材でBBQをした。友人夫婦はシャンパンやケーキで結婚式を挙げたばかりの私たちを祝ってくれたようだが、二本目のワインに続く記憶は満点の星空であった。
さあ、BBQコンロの周りやテーブル上に散逸する皿、喧騒から離れた場所で読もうと持ってきた本、独り占めの空間、何をすれば私は満足できるのか?
正しい選択肢がわからないまま昨夜の片付けを始める。これは家で飲み会をした翌朝は片付けから始めるという習慣の延長線でしかない。早くこの空間を楽しみたいとゴミの分別もそこそこにテーブルを拭き上げた。2か月ほど前に買ったもののまだ読めていなかった閻連科の本を開き、あとがきから読み始める。ゆっくりとページを繰り、漸く物語本編を読もうというとき、夫が起きてきた。いつもより近い太陽にまだ十分に目の開かない顔を晒す。
手を繋いで辺りを歩いた。ふたりだけの穏やかな空間がどこまでも続くようだった。しかし歩くほどに非日常を実感させられ、私たちの所有物でないこの空間を惜しむべく、涼やかな空気を思いきり吸い込んだ。ホテルに戻ると、夫の友人も起きてきた。他愛もないことを喋り合っているうちに、いつの間にか夜と朝が溶け合う所有権を主張するには特定しがたい曖昧な時間は完全に過ぎ去っており、はっきりと輪郭を持つ今日という日が始まっていた。 -
枝豆ソルティドッグ
年々夏が長くなっているものだから今年もそのつもりでいたのにもう心地いい風が吹き始めた。今年は夏バテ気味だったから例年よりたくさんの野菜を食べたものだ。トマト、オクラ、ズッキーニ、ナス、ミョウガ……ベランダでバジルも育て始めた。
本やインターネットを参考にしながら様々に料理をする中で最もインパクトのあったものは「だし醤油漬けクミン枝豆」だ。スパイス専門店を営むインドカリー子さんが日々スパイス料理を考案する中、Twitterにて発信したレシピのひとつだ。作り方は至って簡単で、普通に塩ゆでした枝豆を出汁つゆ・ごま油・クミンパウダーで和えるだけ。鞘ごと咥え口内に向けて豆を発射する。ひとつ、ふたつ、引きが良ければみっつめを発射し、次の鞘を咥える。クミンの香り――所謂カレーのにおい――が食欲を刺激し、ごま油と出汁のしっかりした味付けが後を引く。
枝豆とはこんなに美味しくなるものであったかと感心しつつ次々枝豆を発射していたところで急に、これは豆の美味しさなのだろうかと疑問が湧く。鞘ごと調味料と和えただけで「しばらく置く」工程さえなかったのだから豆に味が移っているとは思えない。ということは鞘が美味しいのだ。つまるところ塩を舐めながら味わうソルティドッグと同じ手法なのだ。喉をとおるものは素朴でいい。自らの唇に毒を塗り、接吻で以て男を殺す悪女さながら、最上の劇物を隠して触れる唇の奥に座す舌を狙っているのだ……なんて、そんな比喩もバーカウンターの薄闇にひかるスノーソルトにはお似合いだろうが、私の家のやたらと明るいLEDの下でちゅーちゅーやられる枝豆には縁遠い話だ。さあ夏も終わる、ウォッカよりビールだ、乾杯。 -
都会で立身出世を目指す私の悩み
一気読みしてやろうと自宅から持ってきた500ページを超すハードカバーにしおり代わりのレシートを挟む。久方ぶりに帰省した私のために母親は張り切ってお昼ご飯を用意してくれた。私もはりきって食べた。そのためか眠くて仕方がなかった。
風向きが変わり網戸から草と土を混ぜ返したような強い香りが流れ込んできた。草刈り機のうなりは子守歌にしては耳障りで、私は畳に転がったまま庭の草刈りをする父親の姿をただ瞼の裏に浮かべる。その影を自宅に置いてきたはずの日常が霧のように覆い隠した。役職が変わったとか後輩ができたとか明確な変化があったわけではないが、会社における私の立ち位置は明らかに変わっていた。5年目になれば変わらない方が困ってしまうのだが、いつのまにか想定していた以上の重み――期待ではない――が両肩にのしかかっていた。その状況を理解するのに2か月の時を要し、理解した頃には私の携わっていたプロジェクトはもう終盤に差し掛かっていた。そして困惑の中、何もできず、プロジェクトはクローズした。
次こそは上手くやるのだと決意を固めるが、自分の進退にまつわる漠とした不安は消えない。上手くやるための努力が報われるような場所はもう与えられないのではないか、そんな不安もなくはないが、本質ではない。
私はこれに似た感覚を知っている。有名なレストランでの食事、上げ膳据え膳を極めた旅館、幼い頃の私は知らなかった世界を享受するたび、満足感の一方で背中に冷たい風が吹く心地がする。答えは、後日、料理研究家 辰巳芳子のエッセイを読んできるときに降りてきた。彼女は庭で収穫した梅を梅肉エキス・煮梅・梅酒・梅シロップ・梅干し・梅ジャム・梅ふきん等様々に活用する。「煮る」や「干す」といった収穫した青梅を変質させるための作業以外の行為を仕込みとして重要視し「仕込みものというものは料理にはない……「先手、段取り、用意周到、念入り」仕事に技術的緊張は強く要せぬ分、無言の中にこの四点が控えている。……この頑固な重役たちが実は人を育てました。」と語る。
そのように丹念に作られていることを知り実感することは、プラスチックケースから摘まんだ梅干しをポイと口に放るときには想像がつかないほどの満足を得ることにつながるだろうと考えたとき、私は「都会で立身出世」したいのだろうかと自問するに至った。つまり、今のように自分の働きをお金に還元して衣食住を買い、衣食住以外の場で自己実現し人生を満足させたいのか、それとも、手ずから生活を立て、己の成り立ちに対する解像度を上げたほうが幸せではないのか、と。それを見極められないまま会社における進退を検討するものだから天井の四隅に張り付いた蜘蛛の巣のように漠とした不安が頭の片隅を占めていたのだ。さて、問いは明らかになった。ではそれにどう答えようか。
辰巳芳子『庭の時間』文化出版局 、2009年