おひとり様カルボナーラ

この半年は変化の連続だった。

昨年の7月、マッチングアプリで出会った男性と1回の電話と1回のデートで意気投合し、2回目のデートで付き合うことになった。3ヵ月後、私たちは結婚を決め、その年の末には籍を入れ、一緒に暮らし始めた。
そして年明け2週間後に夫となったその男性は私たちの家を出てひとり異国の地に赴任し、わたしはひとり日本で生活を続けている。

付き合い始めのころ、わたしは彼の誠実さにひどく感激し、わたしもそうあろうとした。
結婚を決めたとき、わたしは彼の辛抱強さにいたく感謝し、わたしもそうあろうとした。
一緒に暮らし始めたとき、わたしは彼の存在に常に元気付けられ、わたしも彼にとってそうあろうとした。
そして、ひとり暮らしに戻った今、わたしは見知らぬ自分に驚かされ続けている。

年が改まり、互いの実家へ年始の挨拶を終えたとき、10月から怒涛のようにやってくる結婚にまつわるイベントがひと段落した。それまでひたすらに忙しく、気持ちも落ち着かず、とてもではないが日々を振り返り文章が書けるような状態ではなかった。だから三が日が過ぎ、夫が友人との約束に出かけ、ひとり家にいるとき、ようやくブログが書けると嬉々としてキーボードを叩き始めた。

しかし、これまでと同じ感覚で自分の思う文章を書けている気がしなかった。何とか書き上げた文章を読んでもどこか上滑りの感が否めない。
なぜだろうと思い巡らしてみて、はたと幸せボケに違いないと思い至った。

幸せボケは様々なところに及んでいた。これまでのわたしは他人に対して常に憎む気持ちを抱えていた。それがいつの間にか消え、世界は朗らかになっていた。ひとり強くあらねばという気持ちも薄れ、意固地な自負心や競争心が和らいでいた。
自分以外は敵だという強烈な意識を持っているのがわたしなのだとヒロイックに自己を定義していたにも関わらず、その意識の喪失をすんなり受け入れている自分に驚いた。

さらに。

これまで、わたしはひとりで何でもできるし、何でも楽しめると思っていた。
しかし、ひとり暮らしに戻った上、家庭を持つ身であるがために他人との接触が結婚前に比べ極端に減ったことに気付いたとき、寂しいと感じたのだ。
耐えられない寂しさではないが、なんだかんだ自分のそばには常に誰かがいて、そのおかげで日々は充実していたのだと気付き、驚いた。

こう述べたものの、実は、これらの変化は、私が結婚に求めていた効果である。
しかし、いざ目の当たりにすると戸惑いが生じ純粋に喜べない。

その日は特別忙しかったわけではないのだが、なぜかぐったりして帰路についた。いつもどおりの夕食ではお菓子を自棄食いしてしまうと思い、自分の機嫌をとろうと普段はダイエットのため控えているパスタを解禁することにした。

カルボナーラソースを作るときは、卵を火にかけるとクリームにならず固まってしまうので余熱で仕上げる。スピード命のため、普段は場当たり的にあれやこれや取り出しながら料理をするのだが、その日に限っては調理に取り掛かる前に食材の下ごしらえをした。冷蔵庫の奥で固まってしまった粉チーズをほぐそうとボトルをシンクに叩きつける。結局作らずじまいになったポテトサラダのために買っていたベーコンを細切にする。そうして用意した食材や調味料を見渡し、後はもうすべてを火にかけるだけだと調理に取り掛かった。
にんにくが香るオイルとパスタを和え、最後、そこに生卵を加えてソースを仕上げ火を止める。
疲労感を忘れて丁寧に作った食事が楽しみで、いそいそと食卓につく。スプーンの上でフォークにくるくるっとパスタを巻いて食べる。
卵の白身が生っぽさが気になり、もう少し熱を残しておくべきだったかと反省しながらも、出来上がったカルボナーラは十分に美味しかった。
食事が美味しい、ただそれだけの単純な喜びに癒された。

日々気付かされる変化をどう評価すべきか戸惑い悩む毎日にいつの間にか疲れていたのかもしれない。

食後のデザートにはチョコを食べた。
そうそう、レシピではパスタは80gだったのだが、家にあったパスタはひと束100gだった。20g多く食べられて、余計幸せだった。