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あしびきのラビオリの尾の
木曜日の夜はどうしようもなくお酒が飲みたくなる。
金曜日の夜を待ちきれず、ひとりお酒が飲みたくなる。
一頃、残業せずに定時で帰るようにときつく指導されていたが、最近は、残業してでも業務を引き受けてスキルアップを図るようにと風向きが変わってきた。
そのため残業続きの日々なのだが、その週の木曜日はどうしても宅配便の荷物の引取りをしなくてはならなかったため、定時で退社した。
宅配業者を待つ間、ベッドに横になって雑誌を広げていた。白いドレスを着てとびっきりの笑顔を浮かべるモデルや明るいチャペルの写真が掲載されたページを何十ページも眺めながら、自分には縁遠い図だとうんざりし始めたところにようやく宅配業者が来た。
荷物を受け取ったらジムに行ってランニングをしようと思っていたのだが、どこか気が抜けてしまって行く気が起きない。だらだらと雑誌を眺め続けながら、ぼんやりお酒が飲みたいと感じる。しかし、翌日に飲み会を控えており、今日ももう食事も済ませているのだし我慢しようと自分に言い聞かせ、再びだらだらと雑誌を繰る。ところが糸が切れたように急に耐え切れなくなり、一杯だけ、とクレジットカードと文庫本を持って家を出る。
11月にもかかわらず暖かい日が続いたあと、最終週になってからは連日の雨で、それからぐっと寒くなった。氷の入ったサワーやちょこっとのカクテルの気分ではない。小説を読みたいからバーがいい。どこに行こうかと軽装で出てきたことに後悔しながら足早に飲み屋街へ向かう。
スナックやバーの入居したビルが立ち並ぶものの、21時だからかまだ静かなその通りに差し掛かったとき、そこに気になっていたワインバーがあることを思い出した。
今の気分に赤ワインはぴったりだろうと、ビルの入り口に出してある看板を検めて3階の店舗を目指して階段を上る。
ドアを開けると薄暗い店内にはマスターすらおらず、天井にぶら下げられたテレビから中国の映画が流されているばかり。想像していた雰囲気とは大分違うなと、引き返すべきか躊躇しているうちに、奥からマスターが出てきて好きな席にと案内される。
5席ほどのカウンターで、奥から2番目に座る。来店は初めてかと確認され、うなずいて返事をする。
銘柄も何もなく、価格帯だけ書かれたスタンドメニューが渡される。深めの赤ワインが飲みたいと告げるとカウンターに並べられたワインの中から白地に茶色の文字のラベルのものを選んでくれた。シチリア北部のワインだという。テイスティングしてみると想像していたよりも酸味が強かったが、たまにはいいかとそれを頼んだ。
口の広い丸いグラスを受け取り、作法どおりに香りを確かめ一口含む。本を開こうとしたところ、マスターが歌っているような訛りで食事はいるかと聞く。
帰宅してすぐに豆腐を食べたきりで空腹だった私は、この際ダイエットなんて関係ないと、今日はポルチーニ茸のラビオリなら用意できるとのことで言われるがままに頼む。ラビオリというどこにでもありそうな、しかしいまいち的を得ない料理名にはてと考える。パスタだったとは思うのが、それも怪しい。頭に浮かぶのは波打った幅広のパスタだが、そもそもそんなパスタがあるのかさえ自信がない。
しばらくしてできたてのラビオリがサーブされ、ようやくラビオリが何かと思い出す。
丸く成型したパスタ生地でポルチーニ茸と野菜のフィリングをはさみ、トマトソースがかけられたそれはいかにもおいしそうだった。冷めないうちにと、頭の片隅にうねうねしたパスタを浮かべながら読んでいた本を置いて、ナイフとフォークを手に取る。
フィリングがあふれてしまうのではないかと恐る恐るフォークをいれて半分に切る。
しっかりと練り合わされたフィリングは存外歯切れよく、切り口はぴったりと閉じた。ほっとしてフォークを深く刺しなおしトマトソースを絡めて口に運ぶ。
ポルチーニ茸の土のような甘い香りにどきどきする。濃厚なフィリングとほんのり甘みのあるつるんとした口当たりの一口に安心した心持でワインを軽く含んだ。
黄色い抑え目のライティングの手元にはオレンジがかった赤いトマトソースと黒味がかった赤ワインが並ぶ。
二口目を食べながら、ふと、金魚を食べているようだと思った。
まだ小さくて鮮やかな赤色がかわいらしいぴちぴちの金魚。
それは夏祭りの戦利品。翌日、水槽にべったりと顔をつけ、様子を伺う。
逃げるように小さな尾びれを震わせ泳ぐそれを飽きもせず眺める。
わたしのものだよと水槽をこつこつとつつく。
数日後、腹を見せて浮かぶそれに気付き、母親に土に埋めてくれと頼む。
次のラビオリにナイフを入れたとき、滑らないようにとフォークをしっかり刺した。
水分をたっぷり吸ってつやつやした白い生地にトマトソースを絡めゆっくり咀嚼する。
一皿食べ終わらないうちにグラスが空いてしまった。
一杯だけのつもりで家を出てきたが、それで終わるはずがない。金曜日はまだ来ない。
もう少し酸味を抑えた深い赤をと告げる。
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想いに添えて
眠る前、ローテーブルに置いたバラの花瓶を抱えて洗面所に立つ。花瓶代わりに買った大きなグラスからそっとバラの花束を抜いて、パチン、パチンと茎の先を切る。園芸用の切れ味のいいハサミを買わないといけないなと思いながら、パチン、パチンと繰り返す。滲んだ緑色の断面を落とせば、みずみずしい白い断面が現れ、もう少しの間はきれいに咲いてくれるのだろうと嬉しくなる。
洗面台の隅に花束を置き、グラスを覗いたときの濁った水の微かな臭いに、小学校の教室に花が活けてあったことを思い出す。
花瓶の水の入れ替えは日直の仕事だった。たっぷり水の入った大きな花瓶を水道まで運ぶのには苦労した覚えがある。しかも水を捨てるとき、それはやけに臭った。しかし、その何ともいえない腐臭が好きだった。
翌日、このことを恋人に話した。彼の部屋で、眠る前、抱きしめられながら。水の入れ替えをせずに自宅を出てきたことに少しの不安を感じながら。私が話し終えた後、彼はいの一番に「誰が買ってきていたんだろうね」と言った。
さあ、誰が買ってきていたのだろう。
毎日生徒が水の入れ替えをして大切にしていた花は、誰が買ってきてくれていたのだろう。
ただ、花瓶を洗わず、水が腐敗してしまう程度にはぞんざいに扱われていた花を、誰のために買ってきてくれていたのだろう。
彼の部屋から仕事に向かい、一日を終えて帰宅し電気を点けると、ワンルームの真ん中ではバラがまだ鮮やかに咲いていた。そういえば、と、ひとつひとつの花を見つめながら1,2,3……49,50と数える。108本がよかったのだけれど持ち帰るのが大変だろうから50本にしたと言っていた。
彼が私のために買ってきてくれた花なのだと認めて、改めて、そうか、と思う。
ピンクと赤の花の色は日に日にぎゅっと濃くなっている。
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ロシアの恋人たち
プロットを考えてから書き始めるべきだったなと、ブログを書きながらいつも思う。
書いては消しを繰り返し、ひとつの表現に何時間も首をひねり、終着点が見えないまま文字を連ねる。
会社の寮は、スポーツ施設が隣接するため防音がしっかりしているという。確かに住み始めてから2年半、この部屋で近隣の音が気になったことはなかった。しかし、昨日までのロシア旅行について文章を書こうとするも何をメインに切り出すべきか決めかねながらキーをたたく今、網戸越しに聞こえてくるアニメ番組の音が気になって仕方がない。
隣の部屋でも私の部屋と同じ備え付けのレースのカーテンが微かに揺れているのだろう。
4月末に、ロシア行きの飛行機をひとり分予約した。
7月半ばに、付き合い始めたばかりの恋人もロシア行きの飛行機を予約した。
3泊5日という日程にあまり余裕はない。
とにかく、広い空が見られればよかった。
レーニンの遺体を確認できればよかった。
もう二度と行くことはないだろうからと奮発したボリショイバレエのチケットはいかにも観光旅行らしいと思っていた。
そんな軽い気持ちのはずだったのに。
私たちはそれらにいちいちアテられた。
その度強く手を握った。
その度たどたどしく言葉を交わし、沸き起こる感情を共有した。
電車で隣り合って座る。
車両を繋ぐドアが開き、女性が何かを掲げて乗客へなにごとか声をかける。彼女に向けてコインを差し出す男性がいた。
レストランで向かい合って座る。
背の高いウエイターに渡されたEnglish ver.のメニューに混ざるキリル文字は装飾的で優美だ。
ロシアでは私たちの放つ言葉だけが意味を成していた。
ボリショイバレエの開演前、劇場近くのレストランで食事をした。他に東洋人のいない空間にくつろぐ私たちは、傍から見れば異質だったかもしれない。
しかし、フォークとナイフを握りながら、相手に向けて、こころのままを差し出し語るとき、私たちの互いの眼前には、あてがわれた椅子に腰をかけ、非日常に浮き足立つ観光客以上の姿――二十数年の時により形成され、これからも変容していくであろう立体的な存在――が立ち現れた。それは、完全に空間に調和した。
恋人同士の浮ついた気分は後に退き、真面目な響きを込めた言葉を受け入れてもらえるというような相手への信頼に基づく関係が、見知らぬ土地であるロシアに私たちの存在を許容させた。
このロシア旅行を振り返ってみれば取り上げ得る話題はいくつもあるはずなのだ。しかし、なぜか、キーに手を置く私の頭の中には「経験した」という以上のエピソードがない。感激のあまり涙する瞬間があったにも関わらず、ひとり思い出す感情はあまりにも静かだ。あの時間を再構成するには私ひとりの言葉では足りないのか。
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秋は嫌い
ロイヤル・オペラ『ファウスト』の来日公演を見に行った。上野の東京文化会館大ホール4階下手よりステージを見下ろす。全5幕、4時間弱。夢のような一夜だった。
そう、夢のような。
ロイヤル・オペラ・ハウスシネマという、ROHでの公演を全世界の映画館に同時配信するという企画があり、6月には『ファウスト』が上映された。そこでメフィストフェレスの歌う「黄金の子牛の歌」にすっかり魅了された私はこの悪魔に狂わされたいという一心で来日公演に臨んだ。
しかし、私は生のオペラに感動こそすれメフィストフェレスの奴隷になることは叶わなかった。オペラハウスであればボックス席であろう優雅な座席では彼の魔力も届かないのか。待ちに待った一夜はきらびやかではあったが、目覚めれば何も残らない夢のようにさらりと過ぎ去った。
さて、私は秋が嫌いだ。過ごしやすい気候は、何かをサボることの言い訳がひとつ減るということであり、何かを為すときの難易度がひとつ下がるということだ――ああ、私が露呈してしまう。
また、生を感じる――社会規範に馴らされる中、生きているという実感を得るのに、夏の暑さや冬の寒さに身を晒すことは極めて手軽だ。秋は、それができない。快適な空気は身体に何も訴えかけてこず、こちらが積極的に注意を払わなければならない。何に悦びを見出せというのか、そこから考えねばならないとはとてつもなく面倒だ。
そのようなとき、芸術という名の劇物の摂取は極めて有効だ。劇物による、目が回り下腹が疼く感覚は、いかにも生きているという「感じ」がする。
みんなだってそうだろう?芸術を楽しむのに秋が最適なのではない、手抜きをごまかす為につまらない秋を持て囃しているに過ぎないだろう?それとも、これは悪魔の宴を傍観することしかできなかった者の恨み言か?
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おしえてミルハウザー
浮き輪の穴におしりをはめ、あっちへぷかり、こっちへぷかり、静かに行き来する波に身を任せる。そのうち遊泳区域を示すブイまで流れつき、ロープを掴んで軽く反動をつけてから両腕で大きく水をかいて浜の方へ向かう。
そして、浜辺にたどり着かないうちに再び浮き輪に身を沈め、沖へ沖へと運ばれていく。何度も何度も行ったり来たりを繰り返す。
ホテルから程近いビーチはハイシーズンにも関わらず静かで、誰にも何にも気兼ねすることなく、ただ波に揺られ続ける。ビーチリゾートの正しい楽しみ方。
四角く張られたロープの隅に追いやられたとき、軽い酔いを感じ、上半身を起こして浮き輪から滑り降りた。遠浅の透明な海を歩いて戻る。
一緒に来た友人は先に上がってパラソルの下で寝ていた。眠れなさそうな私は、本を読もうとビニールバッグを開く。しかし、中にはカメラとタオルしか入っていない。ホテルのフロントに預けた荷物の中に本を入れてしまったのだと気付き、軽いパニックを覚えた。行きの飛行機の中でミルハウザーの短編集『私たち異者は』を読み始め、この旅行中に読みきろうと張り切っていた。それなのに、ここぞというタイミングで手元にない。
おそらく友人はもうしばらく眠っているだろう。浜辺を歩くにも海に戻るにもまだ疲れている。読書の代わりに何をしよう。
ビニールバッグを置き、お腹の上で手を組んで、軽く息をついてビーチチェアにもたれかかる。白と青のパラソル越しに爽やかな海を見る。これほどすてきなロケーションで大好きな読書ができたらさぞ幸せだろうに・・・。悔しい思いに目を閉じると、ふと、行きの飛行機の中で読んだ短編作品の一節が思い浮かんだ。
「……ピアノ、僕の部屋の読書用椅子、玄関広間のマホガニーの本棚などからたえず柔らかなプレッシャーが発していて……」
そして、続いてそのときに感じた安堵も蘇り、指先の力が抜けていく。
どんなに美味しいものでも食べ過ぎれば苦しくなるように、本を読む悦びが、ときには過剰であると認めることが許された気がした。
ミルハウザーの作品の登場人物がいつも平凡でつまらない世界に何かが起きることを望んでいるように、私もそれを望んでいる。だから常に私は走り回り何かを求め続けている。しかし、何も起こらないこと、何もしないこと、ただその場に身を横たえなされるがままでいることも、どうやら私を満たしうるようで、しかもそれらは走り回る私を否定するわけではないらしい。
そう気付き、立ち止まる心地よさに浸っているうちに、ビーチリゾートを楽しむという命題さえ忘れてしまっていた。
ねえ、ミルハウザー、それでいいと言って。
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東武東上線直通有楽町線各駅停車のせい
有楽町線で埼玉の実家に帰るのは難しい。
金曜日の夜、PCを見続けたためか霞む目をこすりながら東西線に乗り込む。メトロでの移動はだいぶ慣れたがやはり苦手だ。どこへ行くにも本を開くには短すぎ、LINEをチェックするには長すぎる。どのような顔をして電車に乗っていればいいのか分からない。
飯田橋で降り、有楽町線ホームへ向かう。エスカレーターをのぼり、壁も天井も白い細い通路をひたすらに歩く。階段に掛けられた案内はJRへの道順のみを示す。一度改札を出て今度は広い通路をひたすらに歩き、改札横にあったお菓子屋さんを思い浮かべ、実家へのお土産にシュークリームを買えばよかったと後悔しつつ階段を下りる。有楽町線・南北線ホームへの改札を入るとスーツの男性が角ばった平たい箱を提げているのが目に入り、彼に倣って期間限定出店のケーキ屋さんで横浜チーズケーキなるものを買った。
ホームに立ち、箱が水平になるようビニール袋を腕に提げ、本を開く。来た電車に反射的に乗ると清瀬に連れてかれてしまうから、電車が来るたび車内の電光掲示板に示される行き先を確認する。各駅停車、川越市行……乗りたい電車と行く方向は同じだが、各駅停車では狙っている電車への乗換えができないのではないかと不安になり次を待つことにした。数分後、乗りたいと思っていた森林公園行の電車がホームに滑り込む。アナウンスが各停であることを告げる。飯田橋で待つか、次の乗換駅で待つかの違いだったようだ。意外と電車は空いており、荷物を網棚に上げ席に座って本を開く。今年も新潮社のプレミアムカバーの『こころ』を買った。読むときはダストカバーを掛けているので気にならないが、真っ白な表紙にゴシック体でタイトルが書かれた今年のデザインは大分ダサい。実家に帰るときしか聞かない駅名に、自分がどこにいるのかいまひとつピンとこず、緊張しながら頁を繰る。
「次は和光市駅です」というアナウンスにほっとする。次で乗換えだ。なかなか長い道のりだったなと栞の挟まった頁からの紙の厚みで確認したところで電車の速度が落ちた。前の電車との間隔調整のためだと一時停車し、2,3分後に運転再開となった。
和光市駅で乗り換える予定の電車はちょうど数分前に発車していた。次の電車まで15分。母親に、到着が遅くなると連絡する。予定通り20時に到着すればまだしも、さらに遅くなるとなると父親は夕飯を待ってはくれないだろう。電車に乗り、再び本を開く。実家の最寄り駅の数駅前で長い長い遺書を読み終えてしまった。
駅を降りると同時に実家の車がロータリーに入ってきた。
ドアを開くと、母親がお疲れ様と声をかけてくれる。食事は途中だという。
20分ほど走ってようやく実家にたどり着いた。
食卓には私の分の天ぷらが大皿から取り分けられていた。ちょっと電話するねと、母親は席に着かずどこかへ立ってしまう。あまりの空腹に母親を待たず天ぷらに箸をのばす。冷めて油の戻ったイカの天ぷらをぐにぐにと咀嚼する。クーラーの利いた部屋。目の前の父親の席は空いていて、食べ終えた食器だけが残されている。温めたら美味しく食べられるかと思ったが、さらにべちゃっとするだろうとそのまま食べ続けた。いつもどおりラジオアプリで夕べの放送を聞きながら、衣のはがれかけたエビの天ぷらを食べる。油でぬらぬらとした甘いエビ。衣をとってエビだけで食べようかとも思ったが最後皿に残された空っぽの衣を想像してやめた。キッチンペーパーで油切りしようかと思ったが、もう食べてしまったイカとエビの天ぷらを否定するようでできなかった。
母親が電話を終え、私の隣に座る。ご飯の途中で迎えにいったと思ったら全部食べていたわね、と空いた自分のお茶碗を見ながら笑う。私も久しぶりに天ぷら食べた、美味しいねと笑ってみせる。しかし、食べ続けるうちに油がどうしても気になり、時間がたった天ぷらは難しいねえと母親に訴える。時間通りに帰ってきてたら熱々のが食べられたはずなんだけどとキッチンペーパーを持ってきてくれた。
油を落とし、ナスの天ぷらをむにむにと咀嚼する。実家で一人で冷めたご飯を食べることになるとはと嫌味っぽく言いながら鶏天をもさもさと咀嚼する。
取り分けてくれていた天ぷらを食べ終えたとき、両親と3人で美味しい天ぷらを食たべたかったなと思い、急に涙が出てきてしまった。
何で泣いてるのよと驚く母。ごめんとそのまま2階の自分の部屋に上がる。クーラーをつけ、ブランケットを被り、声を上げながら泣いた。ひとしきり泣いて落ち着き、ダイニングに戻る。母親が梨をむいて、あんたの食べ物に対する執着心にはびっくりするよと笑ってくれた。
白い梨にフォークを刺す。サクッと音がした。
でも、と私は弁解を始める。
ひとりで冷めたご飯を食べたのがつらかったんだもん。一人暮らしで一番嫌なのは食事なの。どこ見てご飯食べればいいか分からない。油切りながら温めて食べればよかったのかもしれないけどおなか空いてたの。だからお母さんが電話終わるの待てなかったんだもん。でも、一番嫌だったのは、遠まわしに愚痴を言いながら食事をしたこと。どうしても我慢できなかった。全部私が悪いんだけど、お母さんのせいみたいにしちゃってごめんね。でも、有楽町線が時間通りにくればよかったんだよ。
そして、これ、食べていいの?と最後の一切れの梨に手を伸ばし、これじゃ小学生だよねえと笑いながら梨をサクサクと咀嚼する。
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跳ねろ、跳ねろ、身を揺すれ
跳ねろ、跳ねろ、身を揺すれ
行列の中のひとりなのか?
いいえ――わたしを見るのだ、誰よりも輝くわたしを見るのだ
青森ねぶた祭り2日目、パイプいすで設営された有料観覧席に座り団扇を仰ぐ人々ひとりひとりの目を捉えながら国道7号線を飛び跳ね進んでいく。
屋台で腹ごしらえをしようと思っていたのに、ハネト衣装の着付けに並ぶ列が予想以上に長く時間がかかってしまったのでゆっくりお祭り気分を楽しむ間もなく、コンビニスイーツでカロリー摂取。
ポカリスエットのペットボトルも買って気合十分、一際賑わっていた青森菱友会に紛れ込む。
夕日も沈み始めた19時ちょうど、ハネト達の後ろで、眠っていた獅子が立ち上がり吼えるかのように、出陣しようとねぶたが持ち上げられた。鬼を従え朝廷に反乱を起こす藤原千方と、彼を討とうとする紀朝雄をかたどったねぶたが薄闇に煌々と浮かぶ。高揚していた気分も待ち時間の間にいくらか落ち着き、その姿に出陣の気合よりも雄雄しさへの畏怖の念が湧く。
しかし見とれている間もなく「ラッセラー!!」と声が上がった。
その音頭に進行方向を振り返ると、「ラッセラッセラッセラー」とまだ薄い声を上げながらハネト達がぱらぱら跳びはじめていた。ワンテンポ遅れて隊に詰め寄り、見よう見まねで右足、左足、交互に跳んでみる。すぐに慣れ、ハネトの隙間を縫って、より賑わう隊の前方へ出て行く。
跳び続け、みな疲れが出てきたのか、盛り上がりがやや落ち着いたころ、休憩がてら隊を抜け、次はどこの団体に紛れ込もうかと歩道を歩いていると、夏の夜の心地いい風が吹き、ここは熱帯夜に魘される東京ではないのだと思い出す。そして早くもハネトの中にいたときの熱気が恋しくなり、今度はあおもり市民ねぶた実行委員に飛び込んだ。遠く前方に一際賑わっている集団があり、そこにはゴンドラに乗って音頭をとる女性の姿があった。それを目指して急いで飛び跳ね、ゴンドラのすぐ後ろに着く。
音頭をとる役が交代する合間に足を止め、周りを見渡す。
となりの女性はからだをくの字に折り曲げ腕を目いっぱい振りながら飛び跳ねている。
斜め前では背の高い男性二人がからだを揺すり、じゃらじゃらと背中にさげた鈴を鳴らす。
後ろからハネトがどんどん押し寄せてくる。
――両足を地に着けている場合じゃない。
声を張り上げ身を揺すり、休むことなく跳ね続ける。空になったペットボトルを突き上げる度、もっと激しく、もっと大きく、そしてこのまますべてを飲み込んでしまいたいという欲望が膨らんでいく。凶暴と言っていいほどに飢えた気持ちに踊らされながら、沿道で悠々と行列を眺める人ひとりひとりの目を捉え、私のこの狂乱に気付けと念じる。
からだの向きを変えると、ひとりの若い男性と目が合った。それまでの距離を保ちながらも、明らかにお互い相手の存在を意識している。節が繰り返される毎に相手の声が大きく聞こえるようになる。このまま身を任せることに、初めての領域に踏み込む際のかすかな恐れを感じ、間合いを取ろうとするも何故か距離は近づいていく。音頭に合わせて声を上げ続けていたはずだが、音は漂うばかりで今度は何も響かない。逃げられないほどに距離がつまり、彼と高い位置で手を合わせる。瞬間、手を握る。そして手を離せば再び祭りの熱がぶり返し、互いに波の中へ戻っていく。
跳ねて跳ねて進み続ける。ささやかに下げた鈴を乱暴に揺すり、私に巻き込まれてしまえばいいと辺りに発散させる念を増幅していく。
さて、祭りはどうやって終わったのだったか。念の代償はふくらはぎの痛みとして今もまだ払い続けている。
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ひとりひとりの苦しみを
――生きるため、描き続けた。
相手を気遣うように腹びれを伸ばし、語り合うように向かいあうアマダイが暗い海の中で輝く。
国立ハンセン病資料館の企画展「キャンバスに集う~菊池恵楓園・金陽会絵画展」のポスターとして、奥井喜美直氏の油彩『アマダイ』に重ねられた冒頭の句を見つめながら、「生きる」ことに思いをめぐらせる。
7月9日、ハンセン病家族訴訟について熊本地裁が国に対して賠償命令を下し、国はそれを控訴しないことを決定・発表した。
それから連日、訴訟に関する報道や批評家のコメント等が飛び交う中で、国立ハンセン病資料館という施設が東村山にあることを知る。そのときなぜか、漠とした、だが強い興味が沸き、この間の日曜日に当地へ向かった。
資料館では、ハンセン病とそれをとりまく社会の歴史やハンセン病患者の人生について、文献等の展示や映像資料の放映を通して知ることができる。
報道や教科書による簡単な知識の中で苦しむ「ハンセン病患者」「らい予防法による被害者」等と表現される人々は、私にとって抽象的な存在でしかなかった。しかし、資料館の年表で淡々と連ねられていく凄惨な事実や、カメラの前で自身の経験を語る姿に、苦しむ人々の存在が浮かび上がっていった。
病への偏見や体制に翻弄されたひとりひとりの取り返しのつかない人生に胸が痛む――胸を痛めることしかできない――。
帰りの電車の中で、展示を見ながら考えたことをぽつぽつと語り合う。1950年代、WHOによりハンセン病は治る病との声明が出されたが、日本では、ハンセン病患者の強制隔離を定めたらい予防法が撤廃されたのは1996年のことだった。なぜそんなにも遅れたのだろうかと、戦後復興の歩みと重ねながら仮説を導いていく。無力感に襲われてしまうような仮説は割愛するが、あながち間違ってはいないだろう。
なぜ私はハンセン病資料館に行ってみたいと思ったのか――そもそも私は普段何に興味を持っているのか、資料館を訪れた日を振り返ってようやくわかったように思う。
ソ連崩壊の影響を一般市民へのインタビューによって描き出したアレクシェーヴィチ「セカンド・ハンドの時代」を読んだとき、歴史上の出来事の下には人間ひとりひとりの生活があるということを改めて突きつけられた。それまでは大きな力が世界を動かすのであって、私たちの生活はどこか別の世界の動きとは切り離されたところにあるような気がしていた。
しかし、それから数年たった今でも、そうではないと断言できる自信がない。だから私は自分がどこに生きているのかを確かめるために、世界で起きている事象について、渦中の人々の顔が見えるところへ行きたいと熱望するのだろう。
エゴに満ちた目で、人々の顔を覗き込む自分に気づく。そんな目に、人々は眼差しを返してくれるのか。見渡すだけの世界は、いつまで経っても別世界だろうに。
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un parfait
ねえ、最後に会ってから1年以上経つ友人の前といってもね、私はパフェを食べているの。
1ヶ月前に、1年半付き合って結婚を考えていた男性と別れたといってもね、
それから1週間としないうちに新たに恋人ができたといってもね、
私はパフェを食べているの。
甘くて、甘くて、甘くて――
グラスの中でアイスが溶けてしまうのも構わずスプーンを置いて
オリジナルブレンドの紅茶を口に含む。
コーヒーにすればよかったとすこし後悔。
1回目。
桃のカットがまだてっぺんを覆っているからスプーンをグラスの下に敷かれたレースへ迷わず置く。
2回目。
溶けはじめたアイスと刻まれた桃、それからジェリーが混ざり合い、それはちょうどスプーンの先が埋もれる程の嵩。金属を漬け込むようでためらわれるけれど、スープをいただくときのマナーに倣えば、グラスの中に立てかけるべきか。内側に、どろりとクリームのついたグラスへ柄を立てかける。
3回目。
最後の一口が惜しくて液体と化したアイスを見つめながらスプーンを置く。白というよりも黄色、黄色というよりも白いそれは、グラスの底から強烈な芳香を放っていた。
ねえ、
甘いものの合間に辛いものが食べたくなってしまうほどに、私は大人になってしまったの?
いつまでも甘さに溺れていられないほどに、私は正気になってしまったの?
その繊細な幸福はもう思い出せない。
甘かった、それだけ。
甘いって美味しいってことだったか、それさえも思い出せない。
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全能感
夜8時半、ジムに行こうと家を出る。仕事終わりにスーパーを出たときに降り出した雨はまだ降っていた。傘に当たる不規則な雨音が心地よかった。
ランニングにも使えるスニーカーは水に弱いが浸みるほど雨は降っていない。
夕飯のメニューは糖質高めだったがお昼は食べ損ねている。
Tシャツにスパッツ姿だが暗いから目立たない。
ジムとは別の方角へ歩き出す。財布は持っていない。
高層ビルの光がぬらぬらと運河に揺らめく。
濡れた道路を車がサーーーーーっと音を立てて走り抜ける。
新豊洲駅の交差点で雨がやんでいることに気づいて傘をたたむ。
1時間ほど歩いてようやく市場前駅に着く。
屋上緑化広場へ繋がる水産中卸売場棟のエレベーターを目指す。
明朝に向け、青果棟へ吸い込まれていくトラックを尻目に広い歩道を歩く。
エレベーターを降り、5階の高さに位置する歩道に立つ。遠く光の点が水平線を引くだけで目線には障害物がなく、雲に覆われた暗い空が広がる。足元灯がまっすぐ延びる歩道を照らすが、誰もいないことがわかるばかりだ。
少し緊張しつつさらに階段を上がる。
上りきり、まずはオレンジ色の東京タワーに目が行く。
庭園の縁まで行こうと足を進めるとスニーカーの裏に芝生を感じた。踏みしめたその瞬間、両腕が翼に変わるような感覚があった。
六本木や赤坂、レインボーブリッジの光を前に、広い放たれた空間でひとり大きく息を吸う。
それだけで満足してしまった。体力のあるうちにと、来た道を1時間かけて戻る。
東京らしい景色が好きだ。
うまくいかないことがあるとよく永代橋から佃島を望み、目の前のことに精一杯で窮屈な毎日の所在を確かめる。
何かになれるという希望が私を生かすのだ。

























