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神無月の3句(変わり目)
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夕飯のカレー
久しぶりの出社は暑さと相俟ってやたらと疲れた。1時間の残業を終え、電車の座席に座り込み甘いものが欲しいと夢想する――ケーキ、パフェ、あんみつ、シュークリーム――。出勤前に仕込んだカレーは電気圧力鍋のスイッチを入れれば出来上がるが、早く帰らないと夕飯の時間に間に合わない。しかし、品川のアトレでケーキを買うくらいならどうにかなるのではないか――ああ、蒲田駅前のたい焼きもいい、東急のケーキ屋も悪くない――。
握った携帯が震える。夫からのメッセージで、急遽飲み会となったから夕飯はいらないと言う。帰りを待つ私を気遣う夫が当日に予定を入れるのは初めてで、いつもより早く起きて夕飯の準備した甲斐がなくなることを悔やむよりも、彼が自分の都合を優先したことに安堵する。カレーだから火さえ通せば日持ちはするので構わないのだ――サーティワンのポッピングシャワーも食べたい――。
迷っているうちに目ぼしい駅は過ぎてしまったが、自宅の最寄り駅付近もなかなか繁盛していて悪くない――フルーツ盛り合わせ、プリン、チーズケーキ、クッキーシュー――こってりとしたボリューム感のあるものがいい。電車を降りる。
有象無象に次々と現れる甘いものの中から疲れを癒す最善の一手を決める気力もなく、プライスカードを眺めているうちに駅周辺を一周してしまった。仕方がないので出発点にあったプリンケーキを買う。すぐ食べるつもりで保冷剤はつけなかった。
それなのに、気持ちとは裏腹に脚は上がらず歩みはとろく、大した距離ではないのになかなか家に辿り着かない。ようやくマンションが視界に入ったところで通勤路唯一の信号が赤に変わる。大通りを横断する信号はそうすぐには変わらない。座り込みたくなった。
やっとの思いで家に上がりケーキをテーブルに置く。とにかくカレーを完成させなくてはいけない。下ごしらえした材料を冷蔵庫から出して電気圧力鍋のスイッチを入れる。これで事は済んだ。
ふらふらと自室に向かい、背負いっぱなしのリュックを下ろしてコンタクトレンズを外し、ストッキングを脱ぐ。塞がれていた排気口が空いたように身体の緊張が抜けた。すると風呂嫌いの私にしては珍しくその気になったのでケーキを冷蔵庫に入れ浴室に向かう。帰路では気が向いたらやればいいと思っていた洗濯物の取り込みも脚のマッサージも、シャワーを浴びた勢いでできてしまった。
身体がさっぱりするとしっかり腹が空いていることに気づく。ちょうどカレーも出来上がったので、ひとりとなってしまったが予定どおりの夕飯を済ませ、特別なデザートのプリンケーキを食べる。プリンの甘さとカラメルのほろ苦さが刺激的で、じゅわっとしたスポンジの食感は心地よく、今まさに求めていたものだった。水を飲み、腹ごなしがてら夜の散歩に出かけた。
こんなに満たされた締めくくりができるなら、日中の緊張感も夕方の疲労感もすべてチャラだ。ただ、ケーキ代は自分のおこづかいではなく家計から出すことにする。怒ってはいないけれど、無下にされたカレーを忘れてはならない。 -
ボーダー2首
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有明の海
2022年7月17日午後5時頃、有明海は干潮前だった。遠浅の海はまだ高い陽に照らされ白い光を放っていた。水面はとくとくと揺れる。
6年ぶりに熊本の祖父母を訪ねた後、宿泊先の天草へ向かう道中、どれだけ車を走らせても有明海はずっと豊かで、静かに、傍にあった。目線を遠くにやると山影があった。低い山がいくつも連なる。島原の山か。その日、従妹家族と9人で叔母が用意した昼食を囲んでいる間、祖父は「耳も聞こえんし目も見えん。頭も分からん。」と言い慣れた調子で3回は言った。祖父の言葉は訛りが強く昔から聞き取れないことも多かったが、これだけはよく聞き取れた。
祖父がトイレに立つとき杖をついていることに初めて気づいた。また、祖父は硬くて食べられないと言って白米を残した。
6年前に訪ねたとき、祖父が軽トラを運転し小高い丘の上の神社に2人で行ったことを思い出す。長い階段の先、有明海を臨みながら、また連れてきてほしいとお願いした。「海、きれいだね」とレンタカーを運転する夫が言う。祖父母が生涯を過ごす風景であった。
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休息までは程遠くて
自席に戻りジャケットを脱ぐと香ばしいにおいが発散した。大した役は任せられていないくせに、先ほど終わったばかりの自部門主催のイベント中はずっと興奮気味で、脇の下はじっとりと湿っていた。日中溜まった仕事のうち簡単なものは片付けておこうとPCを立ち上げるも、身動きするたびに立ち上る自分のにおいに耐えきれず、そのまま帰ることにした。
金曜夕方の電車は人もまばらでゆとりはあるが、通勤用に持ってきた本を読む気になれない。スマホは改札を通るときから握りっぱなしで、神経質な親指はTwitterとinstagramをひたすら交互にリフレッシュする。毎秒更新されるほどフォローしているわけでもないのに何度も何度も繰り返す。最寄り駅まであと10分ほどのところで漸く目の前に座る人が立ち上がった。スーツのスカートのしわを気にしながら座り、いつものリュックと、イベント用に念のため持ってきた諸々を詰めた大きなトートバックを膝に抱え目をつぶる。最近、夫は金曜日も帰りが遅い。それでもふたりでご飯を食べる時間をとってくれるからありがたい。今夜は家でゆっくりお酒飲むのとお店でぱーっと楽しむのはどちらがいいだろう、どちらでもいいようにすればいいか。家なら断然餃子だが、外なら焼き鳥がいい。そういえば駅直結のスーパーに美味しそうな餃子の皮が売っていたから、それがあったら餃子を作ろう。無かったら冷凍餃子でもいい。
駅のホームを上がっていく。おつまみも買っていこうとカゴを取ったがめぼしいものはなかった。カゴの片隅に餃子の皮だけ鎮座させたままレジに並ぶ。総菜やおつまみが豊富なこのスーパーはよく混み、あまりの列の長さに店の代わりに客はけの悪さの真因分析を始めてしまう。列が生パスタの棚前まで進んだ時、明日のお昼は美味しいパスタを食べようと思いつき、リングイネとフィットチーネどちらにしようか迷っていると、隣のオリーブを取ろうとした人がいたので列の間隔を少し開けた。すると、オリーブを持つ人はそのまま列に収まった。そうか、と思った。列はなかなか進まず、前に入った人がやたらと気になった。
蛇の尾の長さ見るべし ぬっと出づる膝裏つつく買い物かごで
会計の順番が来た。レジ袋は断ったのに餃子の皮とパスタをそれぞれ水袋に詰めようとするものだから、水袋もいらないですと言ったら、思いのほか大きな声となって驚いた。
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楽しむ力のエトセトラ
埼玉で主婦業を営む母が平日の17:30に有楽町に来た。2時間かけてやって来た。映画の試写会に参加するためだ。わたしが誘ったのだが、お風呂のスイッチを押すことさえ母を呼びつけるような父親を、どう説得して遊びに来たのかと訝しんでしまう。
ギリギリになってもいいようにと会場の近所で夕飯をとった。お店を出て、すぐそこだよと声をかけると、あの新しい建物?と母に聞き返される。どれを指してるのか分からないけど新しくはないかな…などと話ているうちに劇場に着いた。
席に着いて間もなく劇場は暗くなった。試写会といえど映画泥棒のムービーから始まる。シネコンの最新設備に慣れていると、ハイスピードで逃げ走る映画泥棒の残像はなかなかの衝撃だ。物語が面白ければ問題ないと言い聞かせながら姿勢を正すも、主人公の女性が古風な髪型で「~だわ」と話したり、いけ好かない男が歯の浮くようなセリフを並べまくったり、メインどころの若い女性は朗読劇のように喋ったり、暗がりの中で隣の母をつい見てしまう。とはいえ、市民交響楽団の存続についての物語が進むにつれ、豊かな人間模様の描写や登場人物の奏でる音楽に、わたしは隣の母の顔色よりもスクリーンの世界に興味は移っていった。
映画が終わり、劇場の明かりが点くなり母の方を伺った。母もこちらを向いており、「音楽すごかったね」と満足そうに言った。わたしも負けじと「映画を見にも来たんだかコンサートを見に来たんだか分からないね」と答えてみる。
その途端、自分はすごいものを見たのではないかという気がしてきて、続くトークイベントに主演女性が登壇することへの期待感が高まった。残念ながら登壇した美しい主演女優は遠くてはっきりと見えなかった。しかも、ファシリテーターの若いタレントはとても緊張しているようで台本通りにしかコメントできない。さらに、収録エピソードを語る中で俳優たちの名前が挙がるが、芸能人に疎い我々にはちんぷんかんぷんだ。しかし、これが試写会の醍醐味なのだ。
会場が締まり、興奮のまま感想を言い合いながら有楽町駅に向かった。
帰りの電車の中、ひとりで試写会のパンフレットや公式HPを読み漁った。母が来てくれなければ、私は仕事を早めに切り上げてまで試写会には参加しなかっただろう。例え、仕事がすんなり終わってひとりで来たとしても、無料で見られたからいいがと白けた気持ちでいただろう。
今日を楽しみにしてくれていた母が、楽しむ力を与えてくれた。23時過ぎ、家に着いたと母から連絡がきた。
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距離感
休日の午前中に家事をしながら平日に聞き逃したラジオ番組を聴くことは私の楽しみのひとつだ。大物の洗濯をしようとベッドカバーを外しながら金曜夜のラジオ番組を聞いていたら、ゲストに芸人のふかわりょうが登場した。エッセイ集『世の中と足並みがそろわない』を発売するのだ。パーソナリティの武田砂鉄がエッセイ集の中から話題を取り上げ、いつもの平坦な低い声で「そうなんですよ、分かります」と言い、ふかわと会話を重ねていく。番組で披露する彼の世間との微妙な感性のずれには私も共感するところが多く、彼の言語化の巧みさに感心した。そして何より、私が敬愛する砂鉄と会話が盛り上がっている様子が好ましい。そそくさとエッセイ集をネットで購入する。
1編目「略せない」はラジオで取り上げられた話題で、ようやく彼らの盛り上がりに追いつけたようで嬉しくなる。ふかわの文章は独特で、ああそうでした、こんなこともありました、それとこの話もさせてくださいと事象を被せながら展開する。まだあるのかと少し口うるさく感じるほどだが、ラジオで聞いたとおりの卑屈な性格が強調されるようでいい。
しかし「女に敵うわけない」という作品で、これは偏見ですと前置きした上で女性一般に感じるガサツさを縷々述べ、それがまたいいのだと対象を貶しながら褒めたとき、裏切られたような気分になった。気に食わないものは気に食わないとはっきり述べ異議申し立てをするのではなかったか。欠点も愛おしいと急に自身の懐の深さをアピールするなんて、だらしなく伸びた鼻の下がまるで隠せていないにもほどがある。急に彼に対し落胆し、つまらない気持ちになる。
20分程度のラジオトークで勝手に彼の人物像を作り上げ、勝手に好きになってしまう。砂鉄と盛り上がるくらいなのだから、一貫して斜に構え、誰にも媚びない人なのだろうと思い込む。しかしいざ、自分の手に虫眼鏡を持って近づいてみると、想像と異なる姿に勝手にがっかりしてしまう。恋する乙女ほどに身勝手な自分に気づき反省し、タフな私は再び人物像の練り直しを測ろうと、エッセイを読み進める。実は彼の芸人としてのネタを見たことがなかった。読了後、ブレイクのきっかけだという「小心者克服講座」をネット検索しYouTubeで見る。ジェネレーションギャップなのだろうか。ネタの合間に大きく映し出される飯島愛が笑う様子に全く共感できない。ふかわは終始無表情でエアロビクスのリズムに乗せネタを披露する。それと同じ顔で、わたしは画面上に繰り広げられるエンターテインメントを見守る。もう落胆はしない。そして続けてラーメンズの動画を見る。いつもなら短いコントを選ぶが、そのときは30分ほどの長いものを見た。そうでないと気が済まなかった。
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アジール
万が一の言い訳のために、ごくごく軽くノックする。来るはずのない返答は待たず音を立てないようゆっくり扉を押す。
扉に手をかけたまま常夜灯の中目を凝らせば、顎までふとんを被り眠るあなたがいる。私に見られていることも知らず眠り続けるあなたがいる。
掛け布団を持ち上げ、空いているスペースに体を滑り込ませる。隣に来たことに気づいてくれないかとじっと顔を見つめてみるも束の間、早くあなたに触れたくて、先ほどまで起こさないようにと静かに静かに距離を詰めていった甲斐もなく、乱暴にあなたの腕の中に入ろうとする。耳の下に敷かれた左腕を引き抜こうとして漸くあなたは私に気づき、目を開けないまま私の体に腕を回す。私はそのままじりじりと身を寄せ、あなたの腕の中で丸くなる。
ここにいる間、私は頭を悩ませるべき雑事——それどころか日常のあらゆる些事から解放され、何も考えずあなたの温かさに包まれているだけでいいのだ。だからそう、安心して目をつぶり、深く息を吸って眠りに落ちていくに任せる。
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大田区トリップ
大学のゼミ同期の家にお呼ばれした。和食を用意してくれるというのでお土産も和で揃えようと決めれば、長原商店街で創作をしているという和菓子職人のアトリエ兼ショップを思い出す。
通勤電車で毎回通り過ぎる、名前だけは馴染み深いJR蒲田駅で電車を降りる。改札を出て右手から駅ビルに入り、お菓子に合わせる茶葉を買って駅ビルを出て右手から改札に入ると、そこは線路が4本伸びた東急線のホームだ。改札上の案内板を見上げれば多摩川線と池上線の線路が2本ずつ敷かれていることは分かるのだが、長原駅に行くにはどれに乗ればいいのかまでは分からない。今一度、握ったiPhoneに時刻表アプリを表示し、五反田行の電車に乗ればいいことを理解する。五反田行なんてまどろっこしいことを言わないでそのままズバリホームのナンバーを示してくれればいいのにともう一度案内板を見上げて2番線で発車準備をする池上線に乗り込む。
長原駅までは15分。膝に置いたショルダーバッグから読み始めたばかりの本を取り出す。平成の後の時代、放射能があらゆるものを汚染した。生まれてくる子供たちは様々な機能を欠き、歩くこともままならない。若い力を失った社会を、医療の発達により死から遥か遠ざかった高齢者が支えている。老人たちは孫・ひ孫たちを世話しながら、あまりに弱く不自然に動く彼らの姿に、自分たちとは違う生物なのではないかと隔絶を感じる。その一方、半世紀以上前の自分たちのひとつひとつの行いを悔いている。繊維を噛み切れないひ孫も果物を楽しめるようにとオレンジを絞ってジュースを作る100歳を超えた老人の姿を追いながら有り得べき恐ろしい未来の物語に浸り始めたころ、「間もなく『御岳山駅』」とアナウンスが流れた。長野県の山と同名の駅にはたと目を上げるが、車窓には淡々と住宅街の屋根が流れており、停車したそこもフェンスの外に住宅が連なっているだけだった。落胆も驚きもないまま手元に目を落とし、朽ち果てゆく世界に戻っていく。そこを横切る「次は『雪が谷大塚駅』」というアナウンスは異国情緒があり好ましいように思えた。
しかし15分とは短いもので、物語は15ページ分しか進まない。「まもなく……」というアナウンスに従い本を閉じ、開いたドアに合わせて電車を降りる。15ページのトリップを超えたそこは真っ暗で、ホームを照らす光はやたらと白く、闇を際立たせた。蒲田で電車に乗ったのは16時過ぎ。西陽が屋舎を満たしていたはずだったが。ホームの壁面でバックライトに照らされた広告の住所の「大田区」という文字に「太田区」ではなかったかと眩暈がする。
深い深い地下から恐る恐る階段を上っていく私は見つめる背中のないエウリュデュケ。向かってくる大学生と思しき女の子ふたり組はお洒落な駅舎だったらいいのにと話しながら冥府へ向かう。そう、高校生の頃、部活で区民センターに行ったときが私にとって初めてのオオタ区だった。池袋や丸の内のようにビルが建ち並び人があふれかえる街ではないなんて、オオタ区はその頃からおかしかったのだ。長い長い階段を抜けた先では夕方のひんやりとした空気が冥府から還る人を迎える。私はそのまま連休中日の商店街に誘い込まれ、ひとり暮らしの友人へのお土産には多すぎるであろう羊羹ひと竿を手にぶら下げ漂い歩く。
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夜明け前
起きた、眠れないから起きた。携帯から充電ケーブルを引きぬいて時間を確認すると4時だった。まだ夫の寝る部屋の電気を点けるわけにもいかないので、眼鏡を見つけられず何も見えないままホステルの階段を下りる。
夕べ、勧められるがままにワインを飲んだものだから頭はなかなかはっきりしない。共有スペースのひとり掛けソファに腰かけ外を眺める。4時はまだ暗かった、5時もまだ暗かった。ずっと暗いままなのではないかと思うくらい長いこと日の出前の外を眺め、虫の声を聞いていた。
そういえば大学生のときの私は眠れなかった。楽しいことがあれば素晴らしい一日が終わることを憂い、悲しいことがあればその気分にどっぷり浸かって抜け出せず、毎晩鬱々としたときを過ごしていた。埼玉の実家は市街地から外れていたからとても静かで、世界には自分ひとりしかいないのではないかと孤独を深めるにはちょうど良かった。
ホステルの庭を打ち始めた雨の音に、離れて久しい実家の夜を思い出した。あまりにも多感で悩んでばかりの日々だった。しかし苦しみは遠く、この静かな優しい暗闇に包まれている今は、この夜が永遠に続けばいいと思う。