Journal
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It’s mine
朝靄が山々を包む。白い光が空を満たし、木々の影は紫から赤へと色を変えていく。壁いっぱいの窓枠は、その浅間尾根の目覚めを一枚の絵画のように切り出した。
清廉な明け方——夜更けの雨は深酒の狂乱を洗い流し、乱痴気者が寝静まった頃を見計らい瞬いていた満点の星空はここに終着した。太陽の明かりは鑑賞者の不在に耐えかね、私を夢の底から引き上げた。
シェードを下ろし忘れたガラス扉から漏れる光に誘われ外へ出る。
息を吸い、息を吐く。姿の見えない鳥が鳴き、眼前を占める山が未だ漂う朝靄と絡み合う。どうしてくれようか。
夫の友人夫婦と4人で奥多摩の一棟貸しホテルに宿泊した。所在地は公表されておらず、予約完了メールと共に目的地としてフラグの立ったGoogle mapの情報が送られてくる。それに従い細い山道を登っている間、何台かの車とすれ違いはしたが、私たちの行く先にはそのホテル以外何もないようであった。
開放的な部屋で映画を見ながらくつろぎ、夜には持ち込んだ食材でBBQをした。友人夫婦はシャンパンやケーキで結婚式を挙げたばかりの私たちを祝ってくれたようだが、二本目のワインに続く記憶は満点の星空であった。
さあ、BBQコンロの周りやテーブル上に散逸する皿、喧騒から離れた場所で読もうと持ってきた本、独り占めの空間、何をすれば私は満足できるのか?
正しい選択肢がわからないまま昨夜の片付けを始める。これは家で飲み会をした翌朝は片付けから始めるという習慣の延長線でしかない。早くこの空間を楽しみたいとゴミの分別もそこそこにテーブルを拭き上げた。2か月ほど前に買ったもののまだ読めていなかった閻連科の本を開き、あとがきから読み始める。ゆっくりとページを繰り、漸く物語本編を読もうというとき、夫が起きてきた。いつもより近い太陽にまだ十分に目の開かない顔を晒す。
手を繋いで辺りを歩いた。ふたりだけの穏やかな空間がどこまでも続くようだった。しかし歩くほどに非日常を実感させられ、私たちの所有物でないこの空間を惜しむべく、涼やかな空気を思いきり吸い込んだ。ホテルに戻ると、夫の友人も起きてきた。他愛もないことを喋り合っているうちに、いつの間にか夜と朝が溶け合う所有権を主張するには特定しがたい曖昧な時間は完全に過ぎ去っており、はっきりと輪郭を持つ今日という日が始まっていた。 -
枝豆ソルティドッグ
年々夏が長くなっているものだから今年もそのつもりでいたのにもう心地いい風が吹き始めた。今年は夏バテ気味だったから例年よりたくさんの野菜を食べたものだ。トマト、オクラ、ズッキーニ、ナス、ミョウガ……ベランダでバジルも育て始めた。
本やインターネットを参考にしながら様々に料理をする中で最もインパクトのあったものは「だし醤油漬けクミン枝豆」だ。スパイス専門店を営むインドカリー子さんが日々スパイス料理を考案する中、Twitterにて発信したレシピのひとつだ。作り方は至って簡単で、普通に塩ゆでした枝豆を出汁つゆ・ごま油・クミンパウダーで和えるだけ。鞘ごと咥え口内に向けて豆を発射する。ひとつ、ふたつ、引きが良ければみっつめを発射し、次の鞘を咥える。クミンの香り――所謂カレーのにおい――が食欲を刺激し、ごま油と出汁のしっかりした味付けが後を引く。
枝豆とはこんなに美味しくなるものであったかと感心しつつ次々枝豆を発射していたところで急に、これは豆の美味しさなのだろうかと疑問が湧く。鞘ごと調味料と和えただけで「しばらく置く」工程さえなかったのだから豆に味が移っているとは思えない。ということは鞘が美味しいのだ。つまるところ塩を舐めながら味わうソルティドッグと同じ手法なのだ。喉をとおるものは素朴でいい。自らの唇に毒を塗り、接吻で以て男を殺す悪女さながら、最上の劇物を隠して触れる唇の奥に座す舌を狙っているのだ……なんて、そんな比喩もバーカウンターの薄闇にひかるスノーソルトにはお似合いだろうが、私の家のやたらと明るいLEDの下でちゅーちゅーやられる枝豆には縁遠い話だ。さあ夏も終わる、ウォッカよりビールだ、乾杯。 -
都会で立身出世を目指す私の悩み
一気読みしてやろうと自宅から持ってきた500ページを超すハードカバーにしおり代わりのレシートを挟む。久方ぶりに帰省した私のために母親は張り切ってお昼ご飯を用意してくれた。私もはりきって食べた。そのためか眠くて仕方がなかった。
風向きが変わり網戸から草と土を混ぜ返したような強い香りが流れ込んできた。草刈り機のうなりは子守歌にしては耳障りで、私は畳に転がったまま庭の草刈りをする父親の姿をただ瞼の裏に浮かべる。その影を自宅に置いてきたはずの日常が霧のように覆い隠した。役職が変わったとか後輩ができたとか明確な変化があったわけではないが、会社における私の立ち位置は明らかに変わっていた。5年目になれば変わらない方が困ってしまうのだが、いつのまにか想定していた以上の重み――期待ではない――が両肩にのしかかっていた。その状況を理解するのに2か月の時を要し、理解した頃には私の携わっていたプロジェクトはもう終盤に差し掛かっていた。そして困惑の中、何もできず、プロジェクトはクローズした。
次こそは上手くやるのだと決意を固めるが、自分の進退にまつわる漠とした不安は消えない。上手くやるための努力が報われるような場所はもう与えられないのではないか、そんな不安もなくはないが、本質ではない。
私はこれに似た感覚を知っている。有名なレストランでの食事、上げ膳据え膳を極めた旅館、幼い頃の私は知らなかった世界を享受するたび、満足感の一方で背中に冷たい風が吹く心地がする。答えは、後日、料理研究家 辰巳芳子のエッセイを読んできるときに降りてきた。彼女は庭で収穫した梅を梅肉エキス・煮梅・梅酒・梅シロップ・梅干し・梅ジャム・梅ふきん等様々に活用する。「煮る」や「干す」といった収穫した青梅を変質させるための作業以外の行為を仕込みとして重要視し「仕込みものというものは料理にはない……「先手、段取り、用意周到、念入り」仕事に技術的緊張は強く要せぬ分、無言の中にこの四点が控えている。……この頑固な重役たちが実は人を育てました。」と語る。
そのように丹念に作られていることを知り実感することは、プラスチックケースから摘まんだ梅干しをポイと口に放るときには想像がつかないほどの満足を得ることにつながるだろうと考えたとき、私は「都会で立身出世」したいのだろうかと自問するに至った。つまり、今のように自分の働きをお金に還元して衣食住を買い、衣食住以外の場で自己実現し人生を満足させたいのか、それとも、手ずから生活を立て、己の成り立ちに対する解像度を上げたほうが幸せではないのか、と。それを見極められないまま会社における進退を検討するものだから天井の四隅に張り付いた蜘蛛の巣のように漠とした不安が頭の片隅を占めていたのだ。さて、問いは明らかになった。ではそれにどう答えようか。
辰巳芳子『庭の時間』文化出版局 、2009年
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願掛岩頂にて
次に駐車できるところを見つけたら迷わず入ろうと決心し、左手に津軽海峡を睨みながら青森県佐井村の山道を走る。
道中、展望用の小さな駐車スペースを何度も通過してきた。それは一重に私の運転の技量のせいだった。展望台に気付いてから、後方を確認しウインカーを点ける一連の動作を頭に浮かべ動作に移そうとするため、大概は機を逃し駐車スペースを通り過ぎてしまう。反省の末導き出した解決策は、予め確固とした気持ちを持ち、突如現れる駐車場に備えることだった。
長いこと登りの道が続き、いつの間にか後続車両もいなくなった頃、心の準備も甲斐なく駐車場を指し示す案内標識が現れた。速度を落としつつハンドルを左に切り、砂利の上を滑る。
車を降りて海に面した柵に向かうと、眼下には願掛岩と呼ばれる奇形の岩が入り江をなし、眼前にははるか遠く水平線が見渡せた。絶景だった。柵沿いに歩いていたら入り江へ繋がる階段に行き当たった。降りていこうと足を踏み出したとき、強風に煽られ思わずたじろぐ。一歩下がって斜面に丸太を埋め込んで作られた階段には手すりがないことを確認し、入り江までの距離を目測する。目を上げ正面に広がる海を改めて見て、これで十分だろうと納得する。私のあとに来た単身の男性も、車を降りるなり柵へ駆け寄り熱心に写真を撮っていたが階段の先はのぞき込んだきりで、私と同じ結論に達したのだろう、素知らぬ様子で柵沿いに写真を撮り続けていた。
金属製の柵が生垣に変わった辺りまで行ってももう景色にさほどの違いはなかったが、その先に鳥居があったので最後にとご挨拶をし車へと引き返す。その時、先ほど私たちが諦めた階段を上ってくる子供連れ家族が目に入った。特別アウトドアに熱心なわけでもなさそうなのに、お父さんを先頭に、ためらうことなく階段を下りていったようだった。悔しさがこみあげてきた。
ここまでの道すがら、私は、漠然とした好奇心のみで自分が何を求めているのか分からないままここまで来て、そして分からないまま帰っていくのだろうと半ば絶望的な気持ちになっていたのだ。数年越しの希望を叶え、前日訪ねた恐山は、それなりに感心することはあったものの期待していたもの――何を期待していたのか定かでない、何某かのインスピレーションが得られるとでも思っていたのかもしれない――は胸に去来せず、また、夫や母親の心配を差し置いて同乗者なく下北半島を走ったが、カーナビに言われるがまま道を行くのみで、空調の効いた車内で厳しい自然の一端を流し見る自分に何がしたかったのかと落胆せざるを得なかった。そして、今後について、今回のような虚無を覚悟の上で、好奇心に身を委ねることを肯定し、これまでどおり実行できるだろうかと不安になっていた。さきほど階段を下りなかった私に、もうその端緒が表れていたに違いない。自分を叱咤し階段を下りていく。
入り江は「男岩」と「女岩」の間に作られている。駐車場は女岩の入り口にあり、階段からは対面の男岩をよく見ることができた。それは風雨の浸食により柱状の岩肌を成し、雄々しく海に座していた。斜面の中腹には人が行違えるほどの幅を持った歩道が設けられており、そこを抜ければ男岩に登ることができる。しかし、男岩の山道がどうなっているのかは見通せない。男岩へ行こうか、それともさらに階段を下り、入り江まで行こうか決めかねながら、休憩がてら一旦階段を外れ、歩道に降り津軽海峡に対面する。そのときビュッと風が吹いた。それに頬を打たれた私は、鞭打たれた馬の如く反射的に階段の反対側、男岩を取り巻くようにめぐらされた手すりに向かって駆け出した。デニムの重いスカートが広がり翻る。マスクを顎にかけ、息を切らしながら手すり伝いにがむしゃらに登っていく。足元は枯葉に覆われ道は見えないが、手すりがある以上さらに進んでいけるのだと分かる。
5分ほど登ると視界が開けた。船も島もなく、ただ海が広がる。関東は夏へと向かっているのに、そこはまだ冬の気配を残していて、肺に入る空気の冷たさに身が震えた。駐車場に戻り、予定外に時間を費やしてしまったことに気づく。カーナビの目的地を大間港から下北駅のレンタカー店に変えたが、山岳部を抜ける最短ルートはまだ冬季通行止めで、結局大間を通っていくしかなく、下北半島を海沿いに再び走り始める。
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不謹慎
寺務所から、腕いっぱいにタオルを持った人が出てきた。その人が向かう先を振り返り見ると、本堂に続く長い階段の出口に人だかりができていた。参拝客が転げ落ちたらしい。私が事故に気づいたときにはもう救急車は呼んであったようで、ほどなく遠くからサイレンの音が聞こえてきた。私はそれきり、当初の目的どおり色鮮やかに咲くツツジを眺めながら木深い境内を進んでいった。
4月の日曜日、太陽が一番高い時刻、風が通るたび葉が揺れ、フラッシュを焚いたかのような強い光が視界を遮る。これでよかったのだろうかと考える。私の背後で、私も上った階段を転び落ちた人がいる。その事故を眼前にとらえ驚き慌てたであろう人たちは、今日この後をどのように過ごすのだろう。階段から落ちた人も、今日は満開のツツジを見に来ただけのはずで、大けがをするなんて想定していなかったはずだ。明日からの予定はどうするのだろう。
新緑に照らされながら花を愛でる私の振る舞いは正しいのだろうか。しかし、私はどのようにして彼/彼女に胸を痛めればいいのだろう。そもそも、私には自分で認識している悪い性癖——改善することは諦めている――がある。それは、己が受ける苦難には非常に敏感な一方で、他人の苦難にひどく無頓着であることだ。だから私は、他人の困難な状況に遭遇することを常に恐れている。適切に悲しめる自信がないのだ。その証拠に今も何食わぬ顔で現場から遠ざかっていった。喪に遭ったときにはどんな顔をすればいいのかと考えるだけでぞっとしない。ああ、階段から落ちただけであった。
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ねこが欲しい
テレビ会議のさなか、上司の顔が映る画面を猫が横切った。茶色と白の二色の毛。
「わたしも猫、飼いたいです」
じゃれるでもなく、仕事中の飼い主の目の前を気まぐれに遮った猫の姿についそんなことを言ってしまう。上司も「いいじゃん、今住んでいるところはペット大丈夫なの?」なんて聞いてくる。
「さあ、犬の散歩をしている人を見たことがないですからダメなんじゃないですか。ペットを飼うことなんて考えたこともないので知らないです。」
そう、小学生のとき、お祭りで連れ帰った金魚すくいの金魚が翌朝腹を向けて水面に浮いているのを見て以来、ペットを飼いたいと思ったことはない。動物は嫌いではないし、むしろ好きだ。しかし、動物は人間と同じように病気になるし、死にもする。しかもほぼ確実に飼い主より先にペットが死ぬ。だからわざわざ好き好んでそのような悲しみを引き受けようとする人の気がしれないのだ。それなのに、急に猫が欲しくてたまらなくなった。
「まあ猫なら外も出ないし大丈夫でしょ。うちもペットは1匹までって言われているけど3匹飼ってるし。」
3匹もいれば、悲しみは希釈されるだろうか。夫が単身赴任に発ち、ひとり暮らしの身には広い部屋を見渡す。そして、1日中机の前に座る自分を俯瞰する。遠い、しかし確実に来る離別の悲しみと、少しずつ、しかし確実に濃度が上がっている心寂しさを天秤にかけてみる。
悲しみの大きな塊と山盛りになった寂しさの粒が平衡をとる。
自分のためだけに夕食を作ることも、ひとりの夜も週末も、きっと直に慣れる。ただ、念のため、猫をペットショップで買うときは上司、保健所から引き取るときはボスが相談に乗ってくださるらしいことは覚えておく。
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霜柱
西日本は大寒波に見舞われているという朝、横浜に住む私もきっちり着込んで散歩に出かけた。裏起毛のパーカーは首元まできっちり閉めると少し窮屈で、知らぬ間に背中が丸まってしまう。日頃から姿勢には気を付けているのだが、あまりの寒さに背筋を伸ばす気力も縮こまってしまう。
家の近くまで戻ってきたとき、ある街路樹の根元の土がボコボコと盛り上がっていることに気づく。毎朝通りかかるが、今まで注意を払ったことはなかった。俯きがちに歩いたことの奇利となるか。もしやと思いかがんでみると、そう、霜柱が立っていた。閃いたと表現するのがぴったりなほど縁遠くなっていたその単語との再会に頬が紅潮するのを感じる。
霜柱なんて4年前に東京でひとり暮らしを始めてから見ていないのだ。東京での初めての冬、東京の地面はアスファルトに覆われているために霜柱も凍った水たまりもないのだと気づいたきり、その存在をすっかり忘れていた。1本の街路樹を囲む分だけの広さの土は、もともと水分も少なく締め固められてもいるから、細い氷の柱で土を持ち上げるのは大変なことだったはずだ。しかし、夜のうちにやっとのことで育ったそれを、私は踏みしめたくてたまらない。小学生の時、いや大学生になってもなお、庭の霜柱を踏んで出かけていた冬の朝を思い出す。サクッ、パラ。かかとから足を置くとそのとおり靴の下でかかとからつま先へと土が沈む。一度踏んだところではもうあの感覚は得られないから、もう一回もう一回と繰り返し足を踏み出し、道路にたどり着くまで庭に一本の足跡の線を作っていた。
一息によみがえる喜びについ辺りを見回す。しかし、足で踏み込もうと立ち上がろうとしたところで私はもう実家の庭先で喜ぶ末娘ではないのだと思い直し、しゃがんだまま人差し指で一塊の土を倒す。パラっと崩れる感触に胸が高鳴る。一方その高鳴りにきまりが悪くなり、そそくさと立ち去る。
逃げ帰る中、この冬一番の嬉しいことはこれに決まりだろうと確信する。
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おでん奉行
数年前、某コンビニチェーンがおでんのパック販売を始めた。レジ横におでん鍋を用意し客の注文に応じて取り分ける従来の販売方法と比べ、チルド食品としてパッキングすれば賞味期限も伸び、フードロスが削減できるほか、仕込みや片付け等店員の手間も減るという。また、レジ横販売は販売時間が限られているため、24時間いつでもおでんが買えるのは客にとっても嬉しい。会計に並ぶ人の購買欲を掻き立てるレジ横販売からパック販売へ転じたことでおでんの売り上げは落ちたというが、この冬、他のコンビニチェーンの多くも感染症感染対策の一環としてこの方法を取り入れた。
しかし、しかしだ、おでんとはそういう食べ物ではないだろう。
大根やこんにゃく、練り物にたまご、何種類もの食材がごろごろと一つの鍋に詰められ湯気を立てる。私たちは時の経過と共に変わる味わいのタイミングを見計らいながらその瞬間食べたいものを選び、味わう。これがおでんだろう。それなのに、作る側が勝手に「ひとりぶん」を選んで食べさせるとは、何と傲慢か。それを喜んで受け取り、与えられたままに食べるとは、何と恥知らずか。
そもそもだ、夕食におでんを食べたいのならば、昼間から仕込むべきなのだ。朝一番に練り物屋へ走り、ショーケースいっぱいの出来立てを吟味する。特に揚げ物は、野菜や魚介等様々な具材が細かく切られ混ぜられ、見た目にはどれも変わらない。時にはユニークな商品名がつけられ、いよいよ味のイメージが湧かないものさえある。それでも店に信頼を置き、少ない情報をもとに今夜のおでん種を選ぶ。そして家に戻り大根やこんにゃくの下処理をする。これを疎かにすると、その種の味が鈍くなるだけでなく、独特の苦みや臭みが鍋に充満しおでん全体を台無しにしてしまう。また、様々な具材から出るうまみを期待し、出汁は簡単に済ませていいかというとそういうものでもない。おでんの美味しさは、鍋の土台となる出汁の味わいと種の持つ個性との掛け算による。我が家のおでんは手羽元から出汁を取らなければ決まらない。下処理した種を煮汁で煮込み、冷まし、味が染み込むがままにさせ夜を待つ。そうそう、練り物はくたくたに煮るのではなく、鍋で温め食べるものだから、日中は油切りだけ済ませておけばよい。
そして夕食時、卓上コンロにかけた鍋が再び温まるのを待ちながら、何から食べようか悩み、苦渋の決断で以て鍋の中からひとつを選ぶ。温かく、優しい味わいが身体に滲み渡る幸せたるや、言うに及ばず。これこそがおでんという食べ物だ。 -
距離感
休日の午前中に家事をしながら平日に聞き逃したラジオ番組を聴くことは私の楽しみのひとつだ。大物の洗濯をしようとベッドカバーを外しながら金曜夜のラジオ番組を聞いていたら、ゲストに芸人のふかわりょうが登場した。エッセイ集『世の中と足並みがそろわない』を発売するのだ。パーソナリティの武田砂鉄がエッセイ集の中から話題を取り上げ、いつもの平坦な低い声で「そうなんですよ、分かります」と言い、ふかわと会話を重ねていく。番組で披露する彼の世間との微妙な感性のずれには私も共感するところが多く、彼の言語化の巧みさに感心した。そして何より、私が敬愛する砂鉄と会話が盛り上がっている様子が好ましい。そそくさとエッセイ集をネットで購入する。
1編目「略せない」はラジオで取り上げられた話題で、ようやく彼らの盛り上がりに追いつけたようで嬉しくなる。ふかわの文章は独特で、ああそうでした、こんなこともありました、それとこの話もさせてくださいと事象を被せながら展開する。まだあるのかと少し口うるさく感じるほどだが、ラジオで聞いたとおりの卑屈な性格が強調されるようでいい。
しかし「女に敵うわけない」という作品で、これは偏見ですと前置きした上で女性一般に感じるガサツさを縷々述べ、それがまたいいのだと対象を貶しながら褒めたとき、裏切られたような気分になった。気に食わないものは気に食わないとはっきり述べ異議申し立てをするのではなかったか。欠点も愛おしいと急に自身の懐の深さをアピールするなんて、だらしなく伸びた鼻の下がまるで隠せていないにもほどがある。急に彼に対し落胆し、つまらない気持ちになる。
20分程度のラジオトークで勝手に彼の人物像を作り上げ、勝手に好きになってしまう。砂鉄と盛り上がるくらいなのだから、一貫して斜に構え、誰にも媚びない人なのだろうと思い込む。しかしいざ、自分の手に虫眼鏡を持って近づいてみると、想像と異なる姿に勝手にがっかりしてしまう。恋する乙女ほどに身勝手な自分に気づき反省し、タフな私は再び人物像の練り直しを測ろうと、エッセイを読み進める。実は彼の芸人としてのネタを見たことがなかった。読了後、ブレイクのきっかけだという「小心者克服講座」をネット検索しYouTubeで見る。ジェネレーションギャップなのだろうか。ネタの合間に大きく映し出される飯島愛が笑う様子に全く共感できない。ふかわは終始無表情でエアロビクスのリズムに乗せネタを披露する。それと同じ顔で、わたしは画面上に繰り広げられるエンターテインメントを見守る。もう落胆はしない。そして続けてラーメンズの動画を見る。いつもなら短いコントを選ぶが、そのときは30分ほどの長いものを見た。そうでないと気が済まなかった。
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大田区トリップ
大学のゼミ同期の家にお呼ばれした。和食を用意してくれるというのでお土産も和で揃えようと決めれば、長原商店街で創作をしているという和菓子職人のアトリエ兼ショップを思い出す。
通勤電車で毎回通り過ぎる、名前だけは馴染み深いJR蒲田駅で電車を降りる。改札を出て右手から駅ビルに入り、お菓子に合わせる茶葉を買って駅ビルを出て右手から改札に入ると、そこは線路が4本伸びた東急線のホームだ。改札上の案内板を見上げれば多摩川線と池上線の線路が2本ずつ敷かれていることは分かるのだが、長原駅に行くにはどれに乗ればいいのかまでは分からない。今一度、握ったiPhoneに時刻表アプリを表示し、五反田行の電車に乗ればいいことを理解する。五反田行なんてまどろっこしいことを言わないでそのままズバリホームのナンバーを示してくれればいいのにともう一度案内板を見上げて2番線で発車準備をする池上線に乗り込む。
長原駅までは15分。膝に置いたショルダーバッグから読み始めたばかりの本を取り出す。平成の後の時代、放射能があらゆるものを汚染した。生まれてくる子供たちは様々な機能を欠き、歩くこともままならない。若い力を失った社会を、医療の発達により死から遥か遠ざかった高齢者が支えている。老人たちは孫・ひ孫たちを世話しながら、あまりに弱く不自然に動く彼らの姿に、自分たちとは違う生物なのではないかと隔絶を感じる。その一方、半世紀以上前の自分たちのひとつひとつの行いを悔いている。繊維を噛み切れないひ孫も果物を楽しめるようにとオレンジを絞ってジュースを作る100歳を超えた老人の姿を追いながら有り得べき恐ろしい未来の物語に浸り始めたころ、「間もなく『御岳山駅』」とアナウンスが流れた。長野県の山と同名の駅にはたと目を上げるが、車窓には淡々と住宅街の屋根が流れており、停車したそこもフェンスの外に住宅が連なっているだけだった。落胆も驚きもないまま手元に目を落とし、朽ち果てゆく世界に戻っていく。そこを横切る「次は『雪が谷大塚駅』」というアナウンスは異国情緒があり好ましいように思えた。
しかし15分とは短いもので、物語は15ページ分しか進まない。「まもなく……」というアナウンスに従い本を閉じ、開いたドアに合わせて電車を降りる。15ページのトリップを超えたそこは真っ暗で、ホームを照らす光はやたらと白く、闇を際立たせた。蒲田で電車に乗ったのは16時過ぎ。西陽が屋舎を満たしていたはずだったが。ホームの壁面でバックライトに照らされた広告の住所の「大田区」という文字に「太田区」ではなかったかと眩暈がする。
深い深い地下から恐る恐る階段を上っていく私は見つめる背中のないエウリュデュケ。向かってくる大学生と思しき女の子ふたり組はお洒落な駅舎だったらいいのにと話しながら冥府へ向かう。そう、高校生の頃、部活で区民センターに行ったときが私にとって初めてのオオタ区だった。池袋や丸の内のようにビルが建ち並び人があふれかえる街ではないなんて、オオタ区はその頃からおかしかったのだ。長い長い階段を抜けた先では夕方のひんやりとした空気が冥府から還る人を迎える。私はそのまま連休中日の商店街に誘い込まれ、ひとり暮らしの友人へのお土産には多すぎるであろう羊羹ひと竿を手にぶら下げ漂い歩く。