The seasons of corona

今年の冬はあまり冷え込まなかった。例年はあまりの寒さに一刻も早い春の訪れを望むのに、コート一枚纏えば十分寒さを凌げてしまうものだから、来たる春に思いを致すこともなかった。

だからだろうか、今年は春が来なかった。

草木がもぞもぞと動き出し、知らぬ間に芽が吹つぼみが膨らんでいく。あらゆるものが目を覚まし日ごとに大きくなっていく、わくわくするような季節、それが春――そうだったと思う。もはや、春がどのようなものだったかさえ思い出せない、何も、何も思い出せない。

春と呼ばれる最近の月日を振り返れば、私は常にLEDの光に包まれていた。安定したその光の中で健やかに暮らしていた。昼は部屋で仕事をし、夜は自分で作ったものを食べる。危険も、不安もない。要請のままに平穏を守った。
しかし、夏と呼ばれるこれからの月日についてはそうはいかないらしく、慎重に適切な各人の判断で以て「日常生活」を営むよう求められている。自己責任というやつだ、疲れてしまう。

だからもう、私はいいです、窓を閉め切り誰かの作った光の中で静かにさせておいてください、もう、草いきれも草陰の光もいらないから、茹だるような暑さのなか太陽に焼かれながら何かに引っ張られるように歩き続ける喜びなんて、後生望まないから。