ひとりひとりの苦しみを

――生きるため、描き続けた。

相手を気遣うように腹びれを伸ばし、語り合うように向かいあうアマダイが暗い海の中で輝く。

国立ハンセン病資料館の企画展「キャンバスに集う~菊池恵楓園・金陽会絵画展」のポスターとして、奥井喜美直氏の油彩『アマダイ』に重ねられた冒頭の句を見つめながら、「生きる」ことに思いをめぐらせる。

7月9日、ハンセン病家族訴訟について熊本地裁が国に対して賠償命令を下し、国はそれを控訴しないことを決定・発表した。

それから連日、訴訟に関する報道や批評家のコメント等が飛び交う中で、国立ハンセン病資料館という施設が東村山にあることを知る。そのときなぜか、漠とした、だが強い興味が沸き、この間の日曜日に当地へ向かった。

資料館では、ハンセン病とそれをとりまく社会の歴史やハンセン病患者の人生について、文献等の展示や映像資料の放映を通して知ることができる。

報道や教科書による簡単な知識の中で苦しむ「ハンセン病患者」「らい予防法による被害者」等と表現される人々は、私にとって抽象的な存在でしかなかった。しかし、資料館の年表で淡々と連ねられていく凄惨な事実や、カメラの前で自身の経験を語る姿に、苦しむ人々の存在が浮かび上がっていった。

病への偏見や体制に翻弄されたひとりひとりの取り返しのつかない人生に胸が痛む――胸を痛めることしかできない――。

帰りの電車の中で、展示を見ながら考えたことをぽつぽつと語り合う。1950年代、WHOによりハンセン病は治る病との声明が出されたが、日本では、ハンセン病患者の強制隔離を定めたらい予防法が撤廃されたのは1996年のことだった。なぜそんなにも遅れたのだろうかと、戦後復興の歩みと重ねながら仮説を導いていく。無力感に襲われてしまうような仮説は割愛するが、あながち間違ってはいないだろう。

なぜ私はハンセン病資料館に行ってみたいと思ったのか――そもそも私は普段何に興味を持っているのか、資料館を訪れた日を振り返ってようやくわかったように思う。

ソ連崩壊の影響を一般市民へのインタビューによって描き出したアレクシェーヴィチ「セカンド・ハンドの時代」を読んだとき、歴史上の出来事の下には人間ひとりひとりの生活があるということを改めて突きつけられた。それまでは大きな力が世界を動かすのであって、私たちの生活はどこか別の世界の動きとは切り離されたところにあるような気がしていた。

しかし、それから数年たった今でも、そうではないと断言できる自信がない。だから私は自分がどこに生きているのかを確かめるために、世界で起きている事象について、渦中の人々の顔が見えるところへ行きたいと熱望するのだろう。

エゴに満ちた目で、人々の顔を覗き込む自分に気づく。そんな目に、人々は眼差しを返してくれるのか。見渡すだけの世界は、いつまで経っても別世界だろうに。