距離感

 休日の午前中に家事をしながら平日に聞き逃したラジオ番組を聴くことは私の楽しみのひとつだ。大物の洗濯をしようとベッドカバーを外しながら金曜夜のラジオ番組を聞いていたら、ゲストに芸人のふかわりょうが登場した。エッセイ集『世の中と足並みがそろわない』を発売するのだ。パーソナリティの武田砂鉄がエッセイ集の中から話題を取り上げ、いつもの平坦な低い声で「そうなんですよ、分かります」と言い、ふかわと会話を重ねていく。番組で披露する彼の世間との微妙な感性のずれには私も共感するところが多く、彼の言語化の巧みさに感心した。そして何より、私が敬愛する砂鉄と会話が盛り上がっている様子が好ましい。そそくさとエッセイ集をネットで購入する。

 1編目「略せない」はラジオで取り上げられた話題で、ようやく彼らの盛り上がりに追いつけたようで嬉しくなる。ふかわの文章は独特で、ああそうでした、こんなこともありました、それとこの話もさせてくださいと事象を被せながら展開する。まだあるのかと少し口うるさく感じるほどだが、ラジオで聞いたとおりの卑屈な性格が強調されるようでいい。
 しかし「女に敵うわけない」という作品で、これは偏見ですと前置きした上で女性一般に感じるガサツさを縷々述べ、それがまたいいのだと対象を貶しながら褒めたとき、裏切られたような気分になった。気に食わないものは気に食わないとはっきり述べ異議申し立てをするのではなかったか。欠点も愛おしいと急に自身の懐の深さをアピールするなんて、だらしなく伸びた鼻の下がまるで隠せていないにもほどがある。急に彼に対し落胆し、つまらない気持ちになる。
 20分程度のラジオトークで勝手に彼の人物像を作り上げ、勝手に好きになってしまう。砂鉄と盛り上がるくらいなのだから、一貫して斜に構え、誰にも媚びない人なのだろうと思い込む。しかしいざ、自分の手に虫眼鏡を持って近づいてみると、想像と異なる姿に勝手にがっかりしてしまう。恋する乙女ほどに身勝手な自分に気づき反省し、タフな私は再び人物像の練り直しを測ろうと、エッセイを読み進める。

 実は彼の芸人としてのネタを見たことがなかった。読了後、ブレイクのきっかけだという「小心者克服講座」をネット検索しYouTubeで見る。ジェネレーションギャップなのだろうか。ネタの合間に大きく映し出される飯島愛が笑う様子に全く共感できない。ふかわは終始無表情でエアロビクスのリズムに乗せネタを披露する。それと同じ顔で、わたしは画面上に繰り広げられるエンターテインメントを見守る。もう落胆はしない。そして続けてラーメンズの動画を見る。いつもなら短いコントを選ぶが、そのときは30分ほどの長いものを見た。そうでないと気が済まなかった。