秋は嫌い
ロイヤル・オペラ『ファウスト』の来日公演を見に行った。上野の東京文化会館大ホール4階下手よりステージを見下ろす。全5幕、4時間弱。夢のような一夜だった。
そう、夢のような。
ロイヤル・オペラ・ハウスシネマという、ROHでの公演を全世界の映画館に同時配信するという企画があり、6月には『ファウスト』が上映された。そこでメフィストフェレスの歌う「黄金の子牛の歌」にすっかり魅了された私はこの悪魔に狂わされたいという一心で来日公演に臨んだ。
しかし、私は生のオペラに感動こそすれメフィストフェレスの奴隷になることは叶わなかった。オペラハウスであればボックス席であろう優雅な座席では彼の魔力も届かないのか。待ちに待った一夜はきらびやかではあったが、目覚めれば何も残らない夢のようにさらりと過ぎ去った。
さて、私は秋が嫌いだ。過ごしやすい気候は、何かをサボることの言い訳がひとつ減るということであり、何かを為すときの難易度がひとつ下がるということだ――ああ、私が露呈してしまう。
また、生を感じる――社会規範に馴らされる中、生きているという実感を得るのに、夏の暑さや冬の寒さに身を晒すことは極めて手軽だ。秋は、それができない。快適な空気は身体に何も訴えかけてこず、こちらが積極的に注意を払わなければならない。何に悦びを見出せというのか、そこから考えねばならないとはとてつもなく面倒だ。
そのようなとき、芸術という名の劇物の摂取は極めて有効だ。劇物による、目が回り下腹が疼く感覚は、いかにも生きているという「感じ」がする。
みんなだってそうだろう?芸術を楽しむのに秋が最適なのではない、手抜きをごまかす為につまらない秋を持て囃しているに過ぎないだろう?それとも、これは悪魔の宴を傍観することしかできなかった者の恨み言か?