父の日の前の週の出来事
「いつ帰るんだ」
土曜日の朝、食事が済み、新聞を広げた父が問う。
金曜日は夜遅くに帰省したので、父と食卓を囲むのは2か月ぶりだった。
帰省といっても、ひとり暮らしをする東京から埼玉の実家は電車で2時間程度なので、いつでも帰れるし、いつでも会える。両親とおなかいっぱい朝食を食べたら久しぶりの実家を満喫した気がして、昼前には戻ろうかと考えていたくらいだった。
しかし、父にそう聞かれると、もう家を出るとは言いづらかった。
いつでも帰れるし、いつでも会えるけれど、いつでもは帰らないし、いつでもは会いに行かない。電車に2時間乗るには何でもいいから理由が必要だった。
今回は、函館土産を渡したいから帰っておいでと母に呼ばれ、夕飯まで一日実家で過ごすつもりだった。本を読んだり勉強をしたりするつもりで重いバッグを提げてきた。でも、なんとなくひとり暮らしの部屋に戻りたくなっていた。早々に戻ったところで何もしないかもしれないが、何かしたいと思ったときに動きやすいからだ。そわそわしていた。
母が「いつ帰るんだ、なんて、早く帰ってほしいみたいじゃない」と笑う。父は新聞からちらりと目を上げ「そうじゃないんだ」と返す。
父が、客人が帰り、日常に戻れるのがいつなのか算段しようとしたわけではないことを私は知っていた。私の帰省を楽しみにしていたなんて口が裂けても言わないし、嬉しそうな素振りも見せなければ不在にしている間のことを聞きもしない。それどころか、さっさとひとり新聞を広げてろくに会話もしようとしない。それでも、父は私に長く実家に居残って欲しがっている。なんだそれ、とも思うのだが、私には分かってしまう。
父の頭の中はやらなくてはならないこと、やりたいことでいつもいっぱいだ。娘が帰省しても一緒に出掛けたりするほどの時間は割けない。娘が元気そうで、家の中の空気が少し変わるだけで十分なのだ。ただ、それがほんのちょっとの時間だと寂しいから、ただ、自分が慌ただしくして知らない間に私が帰ってしまうと寂しいから、不器用な父は私の帰る時間をそんな風に確かめる。
父がそう語るわけではないのが、私はあまりにも父に似ているので分かる。親の心子知らずと言うほど、もうそんなに子どもじゃない。