心が強張りそうなときの対処法メモ

2015年5月、ブリヂストン美術館での最後の企画展「Best of the Best」において、ある作品との忘れがたい出会いを経験した。あのときの感激をもう一度と、リニューアルオープンのときをずっと心待ちにしてきた。

普段はふわりと巻いて目の上でそろえる前髪を、その朝はかき上げて顔の横に流した。新しいロングスカートを卸し、ショート丈のトップスと合わせて鏡の前に立つ。よし、と頷きスニーカーで家を出た。年明けに新規で購入した定期券は銀座線には乗り入れない。宝町で地上に上がり、Google Mapで位置を確かめ昭和通を歩いていく。道を一本入ると、ARTIZON MUSEUMとロゴの掲げられたガラス張りのビルにぶつかった。入り口ですぐ、予約チケットを持っている人は上階へとエスカレーターへ誘導される。荷物をロッカーに預け、3階のメインロビーへと急ぐ。壁のようにして視界に広がる泡をモチーフとした格子状のオブジェに光が差す。その手前で入場を待つ短い列は逆光のために黒い陰となる。
気持ちが高ぶるのが分かる。

展示室に入ると一番にマネの『自画像』が目に入る。腕を組み、仁王立ちする姿には威厳がある一方で、絵筆のタッチが軽いそのニュアンスに、Best of the Bestでもこの絵を見たことを思い出す。そう、今回見る絵の多くは再会となる。改めてそのことを認めると、この美術館は旧知の場所であり、作品は旧知の仲のような気がした。
緊張が解け、いつもどおりの快楽主義の私に戻る。
芸術家の意図や作品の価値を理解する努力もそこそこに、ただ作品に対峙する。
作品から受ける印象に対するこころの反応を楽しみながら一点一点ゆっくりと鑑賞していく。

柱にかけられた作品の前に立つ。見た瞬間にルソーの作だと分かる『牧場』と題された作品を、見たことがあっただろうか。緑の草原に大きな一本の木が立つ。画面左上には牛が2頭こちらを向いて首をかしげる。保存状態があまりよくなかったのか、その輪郭は少しひび割れている。
恐らく、わたしは、この作品に対して何も特別な思いは抱いてはいない。
しかし、他の作品よりも詳細に『牧場』を見渡していた――いや、確かに長いことその絵の前に立ってはいたが、わたしの目に『牧場』は映っていなかっただろう。わたしの頭にはかつての恋人のことが思い浮かんでいた。
彼はルソーの絵に憧れていた。ルソーを見ようと一緒に箱根にまで行った。しかし、そこは所蔵はしているものの展示はしていなかった。後日、改めて調べたようで、竹橋の国立近代美術館で展示していることを突き止めて、また一緒に見に行った。私はなるほどなあといった程度の感想しか持たなかったのだが、彼はとても喜んでいた。その絵のよさが分からなかったわたしには、それがようやく絵を見られたことについての喜びなのか、彼にはルソーがマッチしたのか測りきれなかった。
そんなことを思い出していたためだろうか、結局今回もわたしにはルソーの絵のよさがいまひとつピンとこなかった。

絵画が多くを占めるコレクション展ではあるが、立体作品も展示されている。
アーキベンコ『ゴンドラの船頭』は深緑の滑らかなブロンズ像で、櫂を持ちスッと立つ腰が引き締まった広い背中の船頭を模っている。この船頭ならぐんぐんと櫂を漕いでどこにでも連れて行ってくれるのだろうと憧憬の念が沸き起こる。
船頭は私たち鑑賞者に背中を向け、壁に近く置かれていた。せっかくの立体作品なのだからと横から作品を覗いてみてその不安定さに驚く。彼の凛とした後姿とは裏腹に脇から覗く彼の立ち姿は崩れており、見てはいけないものを見た気がした。慌ててあるべき鑑賞者の立ち位置に戻り、船頭というものを知る。

抽象画を見るのは苦しい。理解できないのが嫌というわけではなくて、勝手に画家の苦しみを想像してしまうからだ。
2016年、東京都立美術館へ「ポンピドゥー・センター傑作展」を見に行った。1906年から77年まで、各年1作ずつが選ばれ展示されていた。エコール・ド・パリの表現豊かな時代を越えるとコラージュや映像作品のように新たな表現手法による作品が多く取り上げられ始める。その中に並べられた抽象画に思いを馳せずにはいられない。直線や丸、四角など単純な図形を描いたり、大胆なまでにキャンバスに色を塗りたくり刷毛で平面であるはずのカンバスに立体感を出したものなど、それらは単にCompositionであったり何がしかの数字、日付で題されていた。表現方法は出し尽くされ、絵の具と筆では過去の巨匠たちと並ぶことはできても打克てないともがき苦しんだ跡のように見え、わたしも首が絞まるような喘ぐような心地がしたのだった。
その企画展以来、抽象画に関しては他の作品のようにじっくり見ることをやめた。ただ、絵を無視するわけにもいかないので、抽象画が並んでいるときは、ベッドの上にウーキーではなくてアルトゥングがかかっているようなホテルに泊まりたいなあと考えている。

抽象画の合間を抜けると吹き抜けを挟んでガラス張りの展示室が見える。後からわかったことだが、そこにかけられていたのは小杉未醒『山幸彦』だった。横長の画幅には木の根元の池を、喜びを持って見つめる二人の男女が描かれている。目の前のベンチに腰掛ける人もいれば、しばらく立ち止まったり、ゆっくり歩いたり、その絵を中心にして来場者は思い思いに絵を鑑賞していた。
それはシアターのような眺めで、目の前には作品も何もない場にわたしはしばらく立ち尽くしていた。

さて、展示も後半を過ぎたころ、いよいよかと緊張し始める。

2015年5月、私の身体にさあっと水が流れた彼の作品――ジョルジュ・ルオー『ピエロ』との再会だ。炭のように黒い背景に浮かぶピエロの胸像。あの泣き笑いのメイクを落とした容貌では描かれた人物がピエロなのかは定かではないが、タイトルがそうなのだからそうなのだろう。目と口を閉じた静かな表情には何の感情も読み取ることができない。
ただ、唇や頬の赤みに、その人が生きていることが分かる。ピエロの化粧を落とし表出する圧倒的なひとりの人間の生。
あの絵に対峙したとき、その人に思いを馳せる暇もなく、ひとりでに涙は零れた。動けなかった。
そんな作品との再会だ、緊張しないわけがない。一方で、そのとき以来5年間、私の携帯の待ち受け画面は飽きることなく『ピエロ』であり、もう見慣れた図柄となってしまっているのではないかと不安でもあった。

展示室に入るとすぐ、遠くの壁にそれがかかっているのを見つける。記憶にあるよりも大きなカンバスにどきりとする。しかし、逸る気持ちを抑えて、これまでどおり、順番に作品を鑑賞しようとするが、あまりにも落ち着かないので、他の作品を見るのはあきらめて『ピエロ』へ向かった。
正面に立ち、目をつぶる。ゆっくりと目を開き、再会を喜ぶこともつかの間で、5年前と同じように涙が零れる。しかし今度は仔細に表情を眺める。閉じられていたと思っていたまぶたは微かに開いている。閉じた唇も記憶よりも優しく閉じられ、その表情には、自己の内面へのまなざしよりも、遠くかなたへ思いを向けているように見える。ただ、それはきっと、喜びのためではない。そしてきっと、救いは自分の外――はるか遠くにあると感じているのだろう。そのように、見えた。わたしも思わず祈るようにして両手を組む。

ふらふらともとの展示順へ戻る。しかしもう、前ほどの熱心さで鑑賞することはできない。
しかし、ドンゲン『シャンゼリゼ大通り』に捕まる。凱旋門をバックにした記念撮影のような絵。戦間期のつかの間の楽しさ、安堵に満ちた平和な図画に想像が膨らむ。くすりと笑ってふわりとその絵を後にする。

よく心が動いた濃密な2時間だった。心が強張りそうなときはここに帰ってこようと、メモ。