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都会で立身出世を目指す私の悩み
一気読みしてやろうと自宅から持ってきた500ページを超すハードカバーにしおり代わりのレシートを挟む。久方ぶりに帰省した私のために母親は張り切ってお昼ご飯を用意してくれた。私もはりきって食べた。そのためか眠くて仕方がなかった。
風向きが変わり網戸から草と土を混ぜ返したような強い香りが流れ込んできた。草刈り機のうなりは子守歌にしては耳障りで、私は畳に転がったまま庭の草刈りをする父親の姿をただ瞼の裏に浮かべる。その影を自宅に置いてきたはずの日常が霧のように覆い隠した。役職が変わったとか後輩ができたとか明確な変化があったわけではないが、会社における私の立ち位置は明らかに変わっていた。5年目になれば変わらない方が困ってしまうのだが、いつのまにか想定していた以上の重み――期待ではない――が両肩にのしかかっていた。その状況を理解するのに2か月の時を要し、理解した頃には私の携わっていたプロジェクトはもう終盤に差し掛かっていた。そして困惑の中、何もできず、プロジェクトはクローズした。
次こそは上手くやるのだと決意を固めるが、自分の進退にまつわる漠とした不安は消えない。上手くやるための努力が報われるような場所はもう与えられないのではないか、そんな不安もなくはないが、本質ではない。
私はこれに似た感覚を知っている。有名なレストランでの食事、上げ膳据え膳を極めた旅館、幼い頃の私は知らなかった世界を享受するたび、満足感の一方で背中に冷たい風が吹く心地がする。答えは、後日、料理研究家 辰巳芳子のエッセイを読んできるときに降りてきた。彼女は庭で収穫した梅を梅肉エキス・煮梅・梅酒・梅シロップ・梅干し・梅ジャム・梅ふきん等様々に活用する。「煮る」や「干す」といった収穫した青梅を変質させるための作業以外の行為を仕込みとして重要視し「仕込みものというものは料理にはない……「先手、段取り、用意周到、念入り」仕事に技術的緊張は強く要せぬ分、無言の中にこの四点が控えている。……この頑固な重役たちが実は人を育てました。」と語る。
そのように丹念に作られていることを知り実感することは、プラスチックケースから摘まんだ梅干しをポイと口に放るときには想像がつかないほどの満足を得ることにつながるだろうと考えたとき、私は「都会で立身出世」したいのだろうかと自問するに至った。つまり、今のように自分の働きをお金に還元して衣食住を買い、衣食住以外の場で自己実現し人生を満足させたいのか、それとも、手ずから生活を立て、己の成り立ちに対する解像度を上げたほうが幸せではないのか、と。それを見極められないまま会社における進退を検討するものだから天井の四隅に張り付いた蜘蛛の巣のように漠とした不安が頭の片隅を占めていたのだ。さて、問いは明らかになった。ではそれにどう答えようか。
辰巳芳子『庭の時間』文化出版局 、2009年
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夏の夜の二首