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    不謹慎

    寺務所から、腕いっぱいにタオルを持った人が出てきた。その人が向かう先を振り返り見ると、本堂に続く長い階段の出口に人だかりができていた。参拝客が転げ落ちたらしい。私が事故に気づいたときにはもう救急車は呼んであったようで、ほどなく遠くからサイレンの音が聞こえてきた。私はそれきり、当初の目的どおり色鮮やかに咲くツツジを眺めながら木深い境内を進んでいった。

    4月の日曜日、太陽が一番高い時刻、風が通るたび葉が揺れ、フラッシュを焚いたかのような強い光が視界を遮る。これでよかったのだろうかと考える。私の背後で、私も上った階段を転び落ちた人がいる。その事故を眼前にとらえ驚き慌てたであろう人たちは、今日この後をどのように過ごすのだろう。階段から落ちた人も、今日は満開のツツジを見に来ただけのはずで、大けがをするなんて想定していなかったはずだ。明日からの予定はどうするのだろう。
    新緑に照らされながら花を愛でる私の振る舞いは正しいのだろうか。しかし、私はどのようにして彼/彼女に胸を痛めればいいのだろう。そもそも、私には自分で認識している悪い性癖——改善することは諦めている――がある。それは、己が受ける苦難には非常に敏感な一方で、他人の苦難にひどく無頓着であることだ。だから私は、他人の困難な状況に遭遇することを常に恐れている。適切に悲しめる自信がないのだ。その証拠に今も何食わぬ顔で現場から遠ざかっていった。喪に遭ったときにはどんな顔をすればいいのかと考えるだけでぞっとしない。

    ああ、階段から落ちただけであった。