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大田区トリップ
大学のゼミ同期の家にお呼ばれした。和食を用意してくれるというのでお土産も和で揃えようと決めれば、長原商店街で創作をしているという和菓子職人のアトリエ兼ショップを思い出す。
通勤電車で毎回通り過ぎる、名前だけは馴染み深いJR蒲田駅で電車を降りる。改札を出て右手から駅ビルに入り、お菓子に合わせる茶葉を買って駅ビルを出て右手から改札に入ると、そこは線路が4本伸びた東急線のホームだ。改札上の案内板を見上げれば多摩川線と池上線の線路が2本ずつ敷かれていることは分かるのだが、長原駅に行くにはどれに乗ればいいのかまでは分からない。今一度、握ったiPhoneに時刻表アプリを表示し、五反田行の電車に乗ればいいことを理解する。五反田行なんてまどろっこしいことを言わないでそのままズバリホームのナンバーを示してくれればいいのにともう一度案内板を見上げて2番線で発車準備をする池上線に乗り込む。
長原駅までは15分。膝に置いたショルダーバッグから読み始めたばかりの本を取り出す。平成の後の時代、放射能があらゆるものを汚染した。生まれてくる子供たちは様々な機能を欠き、歩くこともままならない。若い力を失った社会を、医療の発達により死から遥か遠ざかった高齢者が支えている。老人たちは孫・ひ孫たちを世話しながら、あまりに弱く不自然に動く彼らの姿に、自分たちとは違う生物なのではないかと隔絶を感じる。その一方、半世紀以上前の自分たちのひとつひとつの行いを悔いている。繊維を噛み切れないひ孫も果物を楽しめるようにとオレンジを絞ってジュースを作る100歳を超えた老人の姿を追いながら有り得べき恐ろしい未来の物語に浸り始めたころ、「間もなく『御岳山駅』」とアナウンスが流れた。長野県の山と同名の駅にはたと目を上げるが、車窓には淡々と住宅街の屋根が流れており、停車したそこもフェンスの外に住宅が連なっているだけだった。落胆も驚きもないまま手元に目を落とし、朽ち果てゆく世界に戻っていく。そこを横切る「次は『雪が谷大塚駅』」というアナウンスは異国情緒があり好ましいように思えた。
しかし15分とは短いもので、物語は15ページ分しか進まない。「まもなく……」というアナウンスに従い本を閉じ、開いたドアに合わせて電車を降りる。15ページのトリップを超えたそこは真っ暗で、ホームを照らす光はやたらと白く、闇を際立たせた。蒲田で電車に乗ったのは16時過ぎ。西陽が屋舎を満たしていたはずだったが。ホームの壁面でバックライトに照らされた広告の住所の「大田区」という文字に「太田区」ではなかったかと眩暈がする。
深い深い地下から恐る恐る階段を上っていく私は見つめる背中のないエウリュデュケ。向かってくる大学生と思しき女の子ふたり組はお洒落な駅舎だったらいいのにと話しながら冥府へ向かう。そう、高校生の頃、部活で区民センターに行ったときが私にとって初めてのオオタ区だった。池袋や丸の内のようにビルが建ち並び人があふれかえる街ではないなんて、オオタ区はその頃からおかしかったのだ。長い長い階段を抜けた先では夕方のひんやりとした空気が冥府から還る人を迎える。私はそのまま連休中日の商店街に誘い込まれ、ひとり暮らしの友人へのお土産には多すぎるであろう羊羹ひと竿を手にぶら下げ漂い歩く。
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夜明け前
起きた、眠れないから起きた。携帯から充電ケーブルを引きぬいて時間を確認すると4時だった。まだ夫の寝る部屋の電気を点けるわけにもいかないので、眼鏡を見つけられず何も見えないままホステルの階段を下りる。
夕べ、勧められるがままにワインを飲んだものだから頭はなかなかはっきりしない。共有スペースのひとり掛けソファに腰かけ外を眺める。4時はまだ暗かった、5時もまだ暗かった。ずっと暗いままなのではないかと思うくらい長いこと日の出前の外を眺め、虫の声を聞いていた。
そういえば大学生のときの私は眠れなかった。楽しいことがあれば素晴らしい一日が終わることを憂い、悲しいことがあればその気分にどっぷり浸かって抜け出せず、毎晩鬱々としたときを過ごしていた。埼玉の実家は市街地から外れていたからとても静かで、世界には自分ひとりしかいないのではないかと孤独を深めるにはちょうど良かった。
ホステルの庭を打ち始めた雨の音に、離れて久しい実家の夜を思い出した。あまりにも多感で悩んでばかりの日々だった。しかし苦しみは遠く、この静かな優しい暗闇に包まれている今は、この夜が永遠に続けばいいと思う。
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ある日のアフターファイブ
職場で進めているプロジェクトは初めてのことだらけで、手探りで手当たり次第に取り組んでいるものだから、毎日気づく頃にはすっかり夜は更けており、夜ご飯を食べる時間と睡眠時間どちらが大事かと悩んでばかりだ。しかしその日は、業務を人に投げつけるだけ投げつけて私の手元はすっからかんになったので定時で上がることにした。急にできた時間をどうしてやろうかウキウキ考え、そういえばと丸の内の丸善へ行くことに決めた。新型コロナ流行以降、本が欲しくなれば果てるともなく連なる読みたい本リストの中からオンラインで注文するばかりだったから、当てもなく面白そうなものはないかと未知の本棚を眺めまわすのは非常に楽しかった。2時間かけて購入した4冊の本を背負いほくほくした気持ちで書店を出た。
駅の改札を通ってから今更ながらと改めて時間を確認する。久しぶりの定時退社、久しぶりの本屋さん、この静かな高揚感をもう少し引き延ばしてもいいではないか。しばらく来ないうちに東京駅構内の開発はずいぶんと進んでおり、腰を落ち着けられる場所はないかと通路から店内をのぞき込みつつ歩き回る。なかなかいい場所が見つけられずフラストレーションが高まり、すっかりうんざりする前に帰るべきではないかと思い始めた頃、「ピエール・エルメ」と世界的に有名なパティシエの名前がカタカナで表記されたカフェショップを見つける。従来の華やかなイメージとは異なり、白を基調としたシンプルな内装が気分にマッチした。
夕飯がまだだったのでフードメニューにも惹かれたが、ここはやはりスイーツだろうとショーケースを覗く。フルーツを混ぜ込んだマフィンやタルトは美味しいだけではなくお腹もいっぱいになって一石二鳥だ。しかしこのパティスリーならばマカロンを食べるのが定石ではないか。とはいえ、店舗限定商品も捨てがたい。数種類しかない商品を前にどうしたものかとぐるぐる悩んでしまう。そして結局、無造作に形成されたロールパンほどの大きさの白いメレンゲにクッキー状の赤いメレンゲが埋め込まれたお菓子を選ぶ。おいしそう、というよりもどうやって食べるのだろうという好奇心が働いた。焼き締められたメレンゲを一口大に割ろうとすればボロボロになるだろうし、同様の理由でかぶりつくわけにもいかない。どうやって頂くのが正解なのだろうか。
注文を済ませると、お好きなところへどうぞとイートインスペースに案内される。ひとりで4人掛けテーブルを占有するのは気が引けたので、店外に面したカウンターのスツールに腰掛けた。
するとすぐ、注文したメレンゲ菓子が運ばれてくる。添えられたナイフとフォークに気づき一瞬怯んだ。頭上にクエスチョンマークをたくさん浮かべながらお店が推奨しているであろうとおりにフォークでお菓子を抑えナイフを立てる。ショーケース前で想像したとおりそれはガリっと砕けた。あまりにも想像通りで笑ってしまう。目の前を人が通るのもお構いなしにひとりクスクスと笑ってしまう。エルメ~と突っ込みたくなってしまうほどに可笑しい。
しかし、そんなにもお茶目なお菓子なのに、大きく割れたかけらをひとたび口に放ればその甘さにうっとりする。さらにコーヒーをひとくち含めば甘美さが深まる。先ほど買ってきたエッセイの1編は、読み終えてはお菓子をまた一口と繰り返すのにちょうどいい長さで、メレンゲが粉々になるまでそれを繰り返した。
そしてこれも予想どおりで、最後はお皿に残った粉々のメレンゲと対峙することになる。逡巡するが早いか手早く四角いお皿の角にメレンゲを寄せ集める。さっと周りを見渡し、誰も見ていないことを確認してからフォークでそれをすくい完食した。食べきったぞとほくそ笑むも、粉々のメレンゲが残るはずが綺麗に平らげられたお皿に改めて直面すると急に気恥ずかしくなってくる。この席で散々思うがままに過ごしたのに、今更居たたまれなくなるとは自分でも理解に苦しむが、その日はそういうことのようで、そそくさとマスクをし、必要以上に颯爽と店を出る。何のためのカッコつけだか分からないが、仕事後にカフェで一息ついたキャリアウーマンを気取ってそのままホームへ歩いていく。電車に乗り、席に着いたとたん気が緩む。何から何まで楽しかったなあとマスクの下の口元まで緩み切る。