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本と出会って、別れて
数十冊、本を手放した。
引越しに当たって、今にも壊れそうな本棚を捨てることにした。背の高い白いその本棚は、ひとり暮らしを始めるときに持ってきたカラーボックスがいっぱいになったため1年前に廉価家具店で買ったのだが、ハードカバーの本を詰めるには軟弱だった。
本棚を処分するに併せて本も整理することにした。
椅子に立ち、本棚の一番上の段から本を出し、PCデスクの上に重ねていく。そのうちにデスクの上もいっぱいになり、床にも重ねていく。本棚からだけではなく、ベッドに備え付けられた棚やサイドボードからも、とにかく部屋中から――単身用のワンルームではあるが、本を集めてくる。
そして、サイズもカテゴリもばらばらで、崩れないようにとだけ気をつけて作った本のタワーの中で、何を基準に整理しようかと考える。思い入れのある本?再読可能性?時代性の有無?できるだけ身軽にはなりたいけれど、せっかく買った本を手放すのは気が引けた。本に限らず、モノを処分するのが苦手なのだ。
結局、私にとって面白い内容であったかどうかで整理することにした。
一冊一冊手にとって、引越し先に持ち込む段ボール箱と古本屋に引き取ってもらう段ボール箱へ選り分けながら、内容が思い出せないどころか、読んだことさえ覚えていない本があることに驚く。読みたいと思って買い、そして読み通したはずなのに、何も覚えていないとはどういうことなのだろう。忙しかったとかまとまった時間が取れなかったとかで本に入り込めないままダラダラ読み終えてしまったに違いない。
もう一度落ち着いて読めばその本の魅力に気付けるのではと、引越し先に持っていこうかとも思ったが、いざ再読したときに当時と同じ読了感になるのも嫌だったので、やはり売渡し用の段ボールに収めていった。
選別を終え、緩衝材を詰めながらふと思う。このまま手放したら、この本たちは私の人生から退場してしまうのだな、と。
内容はおろか読んだことさえ忘れていたとしても、手元にあれば、その本とのつながりを持ち続けることができる。しかし、手放してしまえば、出会ったことさえーー当時の私がその本を切望したことが消え去ってしまう。私以外の誰もその本と私の関係を知らないのに、当の私がその関係の痕跡を消そうとしている。
そのどうしようもない寂しさと切なさが胸にきた。
一方で、買ったものののまだ紐解いていない本は、評価のしようがないので問答無用ですべて新居へ持っていった。読了したとき初めて書店でかけてもらったダストカバーをはずすので、実はこれら未読の本が何かは分からないままに段ボールに詰めた。
さて、再会はいつだろう。また出会えるだろうか。