
蓋
気持ちのいい場所を散歩をしようと横浜まで出てきたのに、ベイエリアに着く前に目に着いたTSUTAYAに入ってしまった。このあたりの書店はどんなものかぐるりと見て回るだけのつもりだった。しかし、給料日直後であることに鑑みればその後の展開は最初からわかっていたようなもので、電車を降りて以降首から下げていた重いカメラはレジに並んでいる最中にリュックにしまい、買った本を持って併設のスターバックスに向かう。
チャイティーラテを注文し店内利用であることを伝えると、マグにするか紙コップにするかと聞かれる。いつも問答無用で紙コップでサーブされ、どうしたらマグでもらえるのだろうと思っていたから嬉しかった。私の返答に一拍置いて店員のお姉さんが何か言った。恐らく「資材が減って嬉しいです」だったと思う。友達にもらった500円分のデジタル商品券を出そうとスマホをいじっていたため、予期していなかったコミュニケーションの発生に反応できなかった。会計を進める中で「チャイティーラテがお好きなんですか」と聞かれた。今度は辛うじて「温まるので」と言えたが、固く、短い返事に言葉を被せることは難しかっただろう。彼女は、客に対峙するたび笑顔のままこのような小さな痛みを積み重ねているのだろうか。
マグを受け取り席につく。本を開く前にラテを飲む。甘く、温かく、唇に触れるクリーマーの気持ちよさにひと口で1/3量飲んでしまった。紙コップでもらうときは蓋がしてあるため少しずつしか飲めないということに気づく。立ち上る湯気に冷める速度を予感し、紙コップで頼めばよかったとさらに後悔を募らせながらまたひと口。なかなか本に辿りつけない。
もらったブックカバーを本にかける。1冊ごとにラテを飲む。2冊買ったから2口飲んだ。机上に置いたマスクが目にとまり、マグに蓋はできなくても、私の口に蓋をすればいいのかと気づいて漸く本を読み始める。まずあとがきを読んで本の意図するところを把握した後、頭から読み始めようと本を閉じる。マスクをずらしてひと口。そして最後クリーマーばかりになったカップを仰だ。カップを置いたそばに貼られたステッカーに客席利用は2時間までと書かれている。誰にも見られないように空のマグカップを引き寄せる。

