
もがきたい
コップが割れた。割れたな、と思った。2歳の息子が食器洗いをしている最中、手が滑ったのか、落として割れたのだった。分厚いガラスのコップだったから意外な脆さであった。息子は、やってしまった、という顔をしていた。離乳食の頃からガラスのコップ・陶器の皿を使っていて、もう何個も何枚も食器を割っていたけれど、今回初めて、それが壊れて戻らないことに気づいたような顔をしていた。割れたガラスが危ないことを伝えてから破片を拾い集め、さっとシンクを流して食器洗いを再開した。
多分、金継ぎに出すと思う。今までも金継ぎをしたい食器はあったけれど、問い合わせるのが面倒だったか、費用が気になったのか、漠然とした理由で何もしないまま、破片の寄せ集めとしてどこかに片づけてある。でも、今回は、本当に出すと思う。
独身時代、近所の骨董市でそのコップを見つけた。小ぶりなそれを空に透かせると、波打つ表面に日の光が溜まった。それが気に入った。
ただそれだけだった。他に特別な思い入れはないと思う。直したいという気持ちは、もしかしたら、捨てられないままずっとキッチンカウンターに置いてあるのが気になっているだけなのかもしれない。でも、いつもであれば即座にゴミ袋にくるんでしまうのだから、捨てられない理由はほかのどこかにあるのではないか。例えば、キッチンカウンターで断面が光るガラスの様子が気に入っているとか。しかし、そうであるなら、直ってしまうことはきっと惜しいから、そんなはずはないのだろう。
ワンピースの裾に座る子の頭を撫でて過ぎる陽春の日
