ねこが欲しい

テレビ会議のさなか、上司の顔が映る画面を猫が横切った。茶色と白の二色の毛。
「わたしも猫、飼いたいです」
じゃれるでもなく、仕事中の飼い主の目の前を気まぐれに遮った猫の姿についそんなことを言ってしまう。上司も「いいじゃん、今住んでいるところはペット大丈夫なの?」なんて聞いてくる。
「さあ、犬の散歩をしている人を見たことがないですからダメなんじゃないですか。ペットを飼うことなんて考えたこともないので知らないです。」
そう、小学生のとき、お祭りで連れ帰った金魚すくいの金魚が翌朝腹を向けて水面に浮いているのを見て以来、ペットを飼いたいと思ったことはない。

動物は嫌いではないし、むしろ好きだ。しかし、動物は人間と同じように病気になるし、死にもする。しかもほぼ確実に飼い主より先にペットが死ぬ。だからわざわざ好き好んでそのような悲しみを引き受けようとする人の気がしれないのだ。それなのに、急に猫が欲しくてたまらなくなった。

「まあ猫なら外も出ないし大丈夫でしょ。うちもペットは1匹までって言われているけど3匹飼ってるし。」
3匹もいれば、悲しみは希釈されるだろうか。夫が単身赴任に発ち、ひとり暮らしの身には広い部屋を見渡す。そして、1日中机の前に座る自分を俯瞰する。遠い、しかし確実に来る離別の悲しみと、少しずつ、しかし確実に濃度が上がっている心寂しさを天秤にかけてみる。
悲しみの大きな塊と山盛りになった寂しさの粒が平衡をとる。
自分のためだけに夕食を作ることも、ひとりの夜も週末も、きっと直に慣れる。

ただ、念のため、猫をペットショップで買うときは上司、保健所から引き取るときはボスが相談に乗ってくださるらしいことは覚えておく。